「おかげさま」の心で -負の思いいっぱいの私を照らす阿弥陀さまの光-
田中 真英
本願寺派総合研究所上級研究員 滋賀県米原市・善楽寺住職

夢なら覚めて
あれは、今から1年半前の12月のことです。滋賀県米原の私のお寺に、阿弥陀さまがお見えになりました! いらっしゃった阿弥陀さまは、山陰地方のご出身です。
「?」
実は、再建された真新しい本堂にお迎えする「入仏式」の時のことです。阿弥陀さまは、ご本山の法物(ほうもつ)承継システム(制度)でお迎えさせていただきました。
私のお寺は、5年前に火事に遭(あ)い、本堂をはじめ、すべての建物を一晩でなくしてしまいました。
「大粒の大雨が降って、どうか火を消してほしい」と、〝奇跡〟にまで頼りました。しかし、何も起こらず、ただ現実を受け入れるしかありませんでした。
「夢ならどうか覚めてほしい...」。本当に悪夢のようでした。
大きな松明(たいまつ)のように本堂は炎に包まれ、暗闇の中の炎は、幾山も越えて照らし、炎の上昇気流によって運ばれた多くの灰や塵(ちり)は、何キロ先にも降り注いだと、後から聞きました。
当たり前のようにあった本堂が、突然になくなってしまいました。庫裏や書院もなくなり、一面、更地となりました。その姿を見るたびに何度も涙を流しました。
ご門徒さんも心を痛められました。そして、「私たちのお寺を再びどうか建ててもらいたい」という、本堂再建を願う思いを何人からも聞かせていただきました。そうした思いを受けて、ご門徒や親族と復興を誓い、ひたすら前だけを向いて、再興の糸口を見つけようと歩み始めたのでした。
私が明るく前を向いて復興を誓うことができたのも、周りの方々のおかげでした。ご門徒一人ひとりの並々ならぬお力添えと、有縁の方々のおかげにより、お寺はそれから3年半後に再建することができました。
お内陣周りの仏具、特に「ご本尊」をどうお迎えするかに悩みました。「仏師に起彫(きちょう)してもらうべきか。しかし、それには相当の負担を皆さんにかけてしまう...」。そんなとき、ご本山の法物承継システムがあることを知り、すぐに申請しました。そして、縁あって山陰地方からご本尊をお迎えすることができたというわけです。
「いざ」となると
本堂が全焼するという受け入れがたい出来事に遭ったことで、私の本性を見させられる機会となりました。
当時の私の心を思い出すと、夢であってほしいと願っていました。仏教の縁起に反する、祈りのような思いが支配していたのかもしれません。どれだけ仏教を学んでいても、どれだけお念仏のみ教えをいただいていても、「いざ」となると、こう思う私がいることに気づかされました。そうした自分を見るたびに、さらに疲弊しました。何もかも負の思いで、心ここにあらずの生活をしていたように思います。
無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり
智眼(ちげん)くらしとかなしむな
生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり
罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ
(註釈版聖典606ページ)
そうした私を、そのまま照らしてくださっているのが、阿弥陀さまの光でした。不幸な出来事でしたが、この経験によって大切な仏縁をやっといただけた、ということなのかもしれません。ご門徒、周りの方々の、お寺に対する熱い思いに触れ、前向きに歩めたという大切なご縁でした。
「おかげさま」の思いを忘れないこと。今、私が大切にしていることです。
「おかげさま」とは「ひとの親切に対して感謝の気持ちを表すことば」「ひとから受けた力添えや恵みから、その人を敬っていう語」(『日本国語大辞典』)とあります。私は今、皆さんのおかげの中に、そして阿弥陀さまのお慈悲の中にあるのです。
浄土真宗のみ教えは、私たちにとって大切な心の支えであり、本堂は、その心の支えを聞かせていただく道場です。今日もまた、再建された本堂で、ご門徒の皆さんのお念仏の声が響いてきます。そして、その姿を見守るように、山陰からお迎えした阿弥陀さまがほほ笑んでおられます。
何百年もの間、山陰の地でお念仏に出遇(あ)われたお同行(どうぎょう)とともに歩まれた阿弥陀さま。今度は米原の地で、私たちがご一緒させていただけると思うと、ありがたい気持ちになります。
全国で被災された多くのお寺や民家の記事を見るたびに、自分のことのように心が痛みます。心から応援しています。
(本願寺新報 2019年07月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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