おばあちゃんの温もり -支え合い認め合うことのできる生き方を-
美馬 裕美
布教使 滋賀県彦根市・純正寺衆徒

いのちの誕生の話
「ひろみちゃんを産む時、お母さんは命がけで、それは大変な思いをして産んでくれたんよ」
何度も何度も私にそう話してくれたのは、近所のおばあちゃんでした。このおばあちゃんは、元助産師さんで、私を取り上げてくれた人でもありました。
私の母は心臓が弱く、最初から出産には不安を抱えていたそうです。予想をはるかに超える難産になり、48時間をかけて母は私を産んでくれました。そのため産後の回復にも時間がかかり、1週間前後で退院のはずが、入院生活は約1カ月に及んだそうです。
父は兄を連れて毎晩、病院に泊まり、兄は毎朝、病院から登校していたことや、健康そのものだった私を先に連れて帰ろうとする父を、「赤ちゃんと離れるお母ちゃんの気持ちも考えてあげて!」と、助産師のおばあちゃんが止めたことなど、私が生まれた時の家族の様子を、おばあちゃんはたくさん話してくれました。
とても小柄な人でしたが、しっかり者で優しいそのおばあちゃんは、その後の生活においても、私たち家族にはとても大きな存在でした。
そのおばあちゃんが今年の春、お亡くなりになりました。私は僧侶としてご縁をいただくことになり、自分が産声(うぶごえ)を上げる前に取り上げてくれた大好きなおばあちゃんのお葬式をつとめさせてもらうという、何とも言い難い不思議な気持ちで式場に入りました。すると、至る所から同じような会話が聞こえてくるのです。
「私も取り上げてもらったみたい」
「うちは全員お世話になった」
「この地域の人はほとんど、おばちゃんが取り上げた子ばっかりちがうかなぁ」
式場の至る所で、自分や自分の大切な人の産まれた時の話で盛り上がっていて、別れの悲しみに包まれるはずの空間が、いのちの誕生の話でいっぱいになっているのです。けれども、その光景に不思議と違和感はありませんでした。
私は、ご家族との挨拶もままならぬまま、少しの時間ではありましたが、おばあちゃんの生きざまの通り、とても素敵なその空間にとどまり、お念仏いたしました。
孤独を抱え生きる
「独生独死(どくしょうどくし) 独去独来(どっこどくらい)」
独(ひと)り生(うま)れ独(ひろ)り死(し)し、
独(ひと)り去(さ)り独(ひと)り来(きた)る。
(註釈版聖典56ページ)
『無量寿経』の中にある、お釈迦さまのお言葉を思いました。
私たちは、たったひとりで生まれ、たったひとりで死んでいかなくてはなりません。
「私には家族や友人がいる」「楽しい毎日を過ごしている」と言ってみても、心の底の底まで理解し、受け止めてくれている人は本当にいるのでしょうか? みんなでいるのになぜだか寂しい...。自分を理解してもらえない苦しみやつらさ、孤独を抱えて生きている現実が身にしみるお言葉です。
それでも私たちは、自分ひとりでは生きてはいけません。
独り生まれても、ひとりで生きてゆける乳児など存在しません。誰かが抱き上げてくれました。誰かがミルクを与えてくれました。誰かが名前をつけて育ててくれたから、今の私たちがあるのです。
それぞれ孤独を抱えた者同士が関わり合って生きています。単独で成り立っているいのちなど、一つもないのです。そんな当たり前のことを忘れていた私に、おばあちゃんのいのちは「独生独死 独去独来」と、立ち止まらせてくれました。
2000人のいのちを取り上げてきたおばあちゃんは、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、お念仏に生きたおばあちゃんでもありました。それでもやはり、独り生まれ独り死にゆくいのちには違いありません。しかし、そのいのちは、阿弥陀さまの国に生まれ往(ゆ)くいのちです。まさに今、おばあちゃんは阿弥陀さまに取り上げていただいたのだと思いました。
そのいのちの真実と、逃れることのできない孤独を抱える者同士だからこそ、その関係性の中に育(はぐく)まれる、支え合い認め合うことのできる生き方があるのだと、最後にまた一つ、私に教えてくれました。
私もおばあちゃんのように、このいのち終える時、次の世代に「いのち」の尊さや、その生き方を伝えられるように生きていきたい。そう思わせていただく、厳しくもあたたかいご縁でした。
(本願寺新報 2019年09月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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