しなやかな心と振る舞い -煩悩だらけの自身を「恥ずべし、傷(いた)むべし」-

幸せの国ブータン

　今から10年前、私は〝世界一幸せな国〟として知られるブータンを訪れました。ブータンは、ヒマラヤ山脈の麓に位置する人口約75万人、国土は九州より少し大きい山岳国です。ブータン国王が提唱し、物質的・金銭的なものを求めるのではなく、人間本来の精神的な豊かさを目指す国づくりをすすめています。決して裕福な国ではないにもかかわらず、国民の95％が幸せと答えていました。しかし最近、自動車ブームによる交通渋滞が原因で幸福度が下がってしまったようです。経済的な発展が国民の幸福度の低下を招くとは、皮肉なものです。

　ブータンの宗教はチベット仏教で、世界で唯一チベット仏教を国教とする国です。ですから、ブータンには市役所や国会などはありません。それら行政の業務は、ゾンという寺院でなされています。また、訪問する村々には必ず寺院があり、多くの方々がお参りをする風景がよく見られました。参拝される方々はみな最高の正装で来られ、そこにはきれいに着飾った若者の姿もたくさんありました。その旅のガイドさんも若い男性で、熱心に手を合わせている一人でした。

　さて、ブータンでの１日目の深夜のことです。私がホテルのベッドで寝ていますと蚊が出てきました。するとその蚊の音が気になって眠れません。早速フロントに電話をしましたが、「モスキート」と英語で言っても話が通じません。そこで前もって番号が知らされていたブータン人のガイドさんの部屋へ電話をしました。

　しばらくしてガイドさんが電話に出たので「蚊が出て困るので、フロントに言って蚊取り線香か殺虫剤がないか聞いてくれませんか？」と言いますと、「無理です。できません」と要を得ない答えが返ってきました。

　私は、電話なので話がガイドさんにはよく伝わらないのだと思い、電話を切って直接ガイドさんの部屋に行き、ドアをドンドンとノックしました。正直、私は内心いら立っていました。そしてガイドさんの部屋に入ると、ガイドさんはすまなそうに悲しい顔で言いました。

　「このホテルには、虫を殺す殺虫剤は置いていません」

　その時、私は初めて気づきました。仏教国であるブータンでは、できるだけ殺生(せっしょう)をしないようにしているのだと。ガイドさんは私が僧侶であることを知っていますから、おそらく事前に説明もしなかったのでしょうし、むしろ僧侶の私が殺虫剤を出せという態度に、驚き悲しんでおられたのです。私はショックでした。

　ガイドさんを深夜に起こしてしまってすみませんと謝って自分の部屋に帰りましたが、その夜はなかなか寝つけませんでした。それは蚊のせいではなく、蚊が出たことに対応しないフロントやガイドさんに怒っていた自分が恥ずかしかったからです。

甘えるのではなく

　ご門主がお示しになった「私たちのちかい」の二つ目には、「むさぼり、いかり、おろかさに流されず　しなやかな心と振る舞いを心がけます　心安らかな仏さまのように」とあります。

　しなやかな心と振る舞いとありますが、しなやかさで連想するのは柳の木です。柳はどんな風が吹いても柔らかく対応し、折れることはありません。逆に堅い樹木は、嵐が吹き荒れるとポキっと折れたり、枝が吹き飛んで他を傷つけたりもします。

　私は今思うに、なぜあの時しなやかに対応できなかったのかと悔やまれます。ブータンは仏教国で、魚釣りなども禁じられていることは知っていました。ならば蚊やハエも殺さないんだとなぜ気づかなかったのか。自分が蚊に刺されたくないことばかりが頭にあって、柔らかさのかけらもありませんでした。

　三毒の煩悩である貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)に日々振り回される私です。すなわち、むさぼり、いかり、おろかさに流されっぱなしの私です。でも仕方ないと諦(あきら)めて居直るのは、阿弥陀さまに甘えているだけではないでしょうか。

　親鸞さまは煩悩だらけの自らを「恥ずべし、傷(いた)むべし」とおっしゃいました。甘えるのではなく、そんな私を見捨てないという阿弥陀さまのお心を依りどころにさせていただくということは、私なりに精いっぱい、日々しなやかな心と振る舞いを心がけていくことだと思います。

（本願寺新報　2019年09月20日号掲載）

本願寺新報（毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊）に連載中の『みんなの法話』より

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