ものがたりを聞く -今、私に至り届いている南無阿弥陀仏の名号-
浅野 執持
布教使 愛媛県今治市・万福寺衆徒

品質をデザインに
世代に関係なく、「南無阿弥陀仏」を聞いたこともないという人はあまりいないでしょう。しかし、その意味を知り、そこに仏さまのものがたりがあるということを知っている人は少ないように思います。
南無阿弥陀仏の六字を「名号(みょうごう)」と呼びます。名号とは、阿弥陀如来のお名前のことですが、同時に、仏さまから私に対する「必ず救う、大丈夫。まかせておくれ」とのよび声であるのです。
この名号に蓮台(れんだい)を添えお迎えするのが、浄土真宗の本尊です。本尊には名号のほかに、お木像(もくぞう)、ご絵像(えぞう)がありますが、いずれも名号として届く阿弥陀如来の救いのはたらき、そのお徳がお姿であらわされたものです。
名号はわずか六文字、称(とな)えれば一声の念仏ですが、そこに仏さまの無限のはたらきがあることを聞かせていただくのが聴聞です。聴聞は法話を聞くことに限定されるものではなく、人生の歩みを通して仏さまから私にかけられた大きな願い「本願」にであっていくものです。阿弥陀如来の本願は、南無阿弥陀仏の名号として私の人生に響き、満ちみちてくださるのです。
私の暮らす愛媛県今治市の地場産業にタオルの生産があります。90年代以降、安い輸入品に押され危機的状況が続いていましたが、高品質な製品に特化した『今治タオル』としてのブランド化に成功し、回復を成し遂げました。その立役者の一人にアートディレクターの佐藤可士和さんがいます。
佐藤さんは、ユニクロや、ホンダの軽自動車Nシリーズなどのロゴマークを手がける世界的なデザイナーですが、単にマークをデザインするだけではありません。企業、商品に関わる人、消費者、歴史にまで目を向け、それらが持つものがたりを紡ぎ出し、ロゴマークに表現します。そして、そこに表現されたものがたりに沿ってプロジェクトを導くのです。
しかし、長らく低迷するタオル生産の復興は、佐藤さんにも不可能と思え、依頼を断るつもりだったそうです。その考えを一転させたのは、今治産のタオルの品質そのものでした。手渡された高品質のタオルに触れたとき、それまでに知るタオルとは全く別次元の柔らかさに驚かされたのです。
「この品質を伝えることさえできたなら、今治のタオル産業は必ず復興できる」
そう確信し、その品質を『今治タオル』としてデザインしたのです。
ご恩の積み重ねが
南無阿弥陀仏の名号、その中には、さとりの世界から私へと届くはてしなく永いものがたりがあります。苦しみの連鎖から逃れる術(すべ)をもたない私を見抜き、救いのすべてを仏さまの側(すべ)で完成し、南無阿弥陀仏として今、私に至り届いている。そのことを疑いなく聞きゆだねることが、何よりも大切と教えてくださった方が親鸞聖人です。
私の祖父は、戦争のために長男を12歳で亡くしました。その悲しみを常に、親鸞聖人のみ教えに問い続けた人生でした。祖父は、長男の死を縁にいくつかの歌を残しています。
「絶望の淵にありとも本願の道は変わらずひらかれてあり」
私がどのようにあっても、救いの道は常に、さとりの世界の側からひらかれてある。そのことは絶望に沈む祖父にとって、まさに闇を照らす灯火であったことでしょう。
極端に寡黙(かもく)で、学者肌の祖父でしたが、文章の世界では多くの言葉を残してくれました。ガリ版で刷られた手書きの寺報に、本尊や念仏について次のように記されていました。
「お仏壇をひらけば、いつでも如来さまが拝めるということ、どこにいてもナモアミダブツとお念仏が申されることは、単にしきたりということではなく、生まれてくる前からずっと永い間、如来さまの光明に照らされ、おさめとられ、育てられて来たから遇えるのであって、決して容易なことではないのです。永きにわたるご恩の積み重ねがあってはじめて、できることなのです」
私のためにひらかれた、はてしなく永いものがたりがある。その中を今、私は歩ませていただく。そのことを南無阿弥陀仏の中に聞かせていただく。それが、本尊を迎え、念仏申すということが慣習としてでさえ伝わりにくくなっている今日、なおさら大切に感じられます。
(本願寺新報 2019年10月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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