読むお坊さんのお話

えっ!お念仏が -仏道は常に「いま・ここ・私」を抜きにはできない-

花田 照夫(はなだ てるお)

布教使 福岡県桂川町・長明寺住職

人生を振り返って

 浄土真宗は、阿弥陀さまのお慈悲の中を日々、歩ませていただく仏道です。その阿弥陀さまのお慈悲を、経典(きょうてん)では、しばしば「光」にたとえて示されます。「いつでも・どこでも・だれにでも」へだてなくそそがれるお慈悲は、まさしく「光」そのものといえるでしょう。

 けれども、そんなお慈悲の光であっても、自分の身にひきよせて味わわなければ、何の意味もありません。仏道は常に「いま・ここ・私」を抜きにしては、画餅(がべい)に過ぎないのです。

 もう十数年も前のことですが、布教にうかがったお寺の仏教婦人会の会長さんから、こんなご自身のお話を聞かせていただきました。

 会長さんは、今のおうちもご実家も浄土真宗です。4人のお子さんに恵まれ、忙しいながらも充実した毎日を過ごしておられました。若い頃からお寺の婦人会に入り、お友達と一緒にお寺にお聴聞に行くことを楽しみにしておられたそうです。

 そんな会長さんに大きな転機が訪れたのは、20年前の60歳の時のことでした。体調を崩したご主人が重い病気とわかり、急きょ、遠方の専門病院に入院することになったのです。そして、ご主人の世話をするため、自宅を離れて病院にずっと泊まり込みを続けていました。

 しかし、1週間が過ぎた頃、主治医の先生から、「一度、家にお帰りなさい。このままではあなたが倒れてしまいます。身体の調子を整えてからまた来てください」と言われたのでした。

 その帰り道、会長さんは心身共に疲れ果てた状態で車を運転しながら、いろいろなことを考えたそうです。病気のこと、家族のこと、これまでの人生、そしてこれからの人生のこと...。

私ひとりのために

 1週間ぶりのわが家に到着し、玄関の鍵を開けて家に入り、リビングの床に両手いっぱいの荷物をドサッと置いた時です。
 口から「ふぅ...、なんまんだぶつ」と、ため息とともにお念仏がこぼれました。

 「えっ! うわっ? お念仏!」

 驚いたのは当のご本人。

 もちろん「なんまんだぶつ」とお念仏を称(とな)えること自体は、自身にとって少しも珍しいことではありません。今までずっと、日々のお仏事を大切にし、お寺の法座で聴聞を続けてきたわけですから。

 しかし、本堂でも仏間でもない場所、そして、法要でも仏事でもない時に「なんまんだぶつ」とお念仏を称えたのは、60年間生きた中で全く初めてのことでした。そして次の瞬間、心に大きな感動が湧き上がってきたそうです。

 「ああ、この〝なんまんだぶつ〟のことだったんだ!」

 「今までお寺でずっとずっと聴聞してきた南無阿弥陀仏って、今、私が称えた〝なんまんだぶつ〟のことだったのだ! この〝なんまんだぶつ〟が、私のこれまでの人生をずっとご一緒くださっていた阿弥陀さまなのだ!」と思われたのです。

 それからリビングを出て廊下に行きました。そして「なんまんだぶつ」と称えてみました。そして次に玄関、トイレ、お風呂、寝室...、家の中をめぐりながら「なんまんだぶつ」と称えてみました。家中、どこに行ってもお念仏が出てきます。口からあふれてきます。

 「ここでも出る! ここでも出る! ここでも出る!」

 いつしか目から涙がこぼれはじめました。

 そんなお話に圧倒されている私に向かって、会長さんはおっしゃいました。

「私、この時から阿弥陀さまもお念仏もすべてが本物になりました。ここから私の本当の聞法生活が始まったのですよ」

 長年ずっと、阿弥陀さまのお慈悲を「有り難い」と思いながらお聴聞されてきたのです。しかし、それはどこか他人事の阿弥陀さまでした。ところが、あの、自ら称えたお念仏に驚いた瞬間、その阿弥陀さまのお慈悲を「わが事」とし深くいただかれたのです。会長さんにとって、それは「すべてが本物になった」ときだったのでしょう。

 『歎異抄』には親鸞聖人のお言葉として「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案(あん)ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)がためなりけり」 (註釈版聖典853ページ)とあります。まことに尊いお言葉です。

(本願寺新報 2019年11月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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