読むお坊さんのお話

見えない木 -いのちを通して心の中にたち続ける-

藤澤 めぐみ(ふじさわ めぐみ)

布教使 京都市伏見区・興禅寺住職

もう、ない寂しさ

 御衣黄桜(ぎょいこうさくら)と呼ばれる桜をご存じでしょうか? 俗に「黄桜(きさくら)」と呼ばれているその桜の花は、まるで木の葉と見まがうような黄緑色の花を咲かせます。

 その黄桜の木が、家の近くを流れる宇治川の堤防に一本だけ自生していました。正確にいうと、去年の9月まではあったのです。数年前、毎朝のウォーキングですれ違う方が、熱心に写真を撮っておられたのがきっかけで、私はその木が桜だと知りました。

 それ以前から、黄桜の木はたっていたのです。けれども、桜といえば淡いピンク色の花びらを思い浮かべる私には、まさか黄緑色の花をつけるその木が、桜だとは思いもしませんでした。ましてや、花の咲かない時期に木だけを見ても、桜だとは気づかなかったでしょう。いや、ピンク色の花をつける桜の木だって、花がなければ桜の木だと気づくこともないかもしれません。桜は、花が咲いてはじめて、その木が桜だと実感するのでしょう。

 以来、黄桜の花が咲くと、私もウォーキング途中に写真撮影をしては、その花を楽しんでいました。するとその私の姿を見て、「木の葉を撮影しておられますが、何か珍しい葉なのですか?」と声を掛けられる方があり、私はまるでずっと前からその木を知っていたかのように、黄桜の花について話しました。

 その黄桜が、去年9月の台風21号の風で根本から折れてしまい、堤防から姿を消しました。黄桜だと知らずに、いや、木があることすら気づかずに通り過ぎていた私が、珍しい〝黄桜〟だと知ってから、毎年花が咲くのを楽しみにしていました。そして今年も咲くものだと思い込んでいました。でも、今年はもう黄桜の木があの場所にないのです。「ない」となると、寂しいなぁと思います。あったことを知りもしなかった私が、それが〝黄桜〟だと知った瞬間から、「あることが当たり前」になり、毎年花を咲かせてくれるのだと思い込んでいました。でも、もう、ないのです。

 あの木が倒れてしばらく、折れた枝が地面に山積みにされていました。それを見ながら「あぁ、もうあの黄緑色の花を見られないんだなぁ」と寂しい気持ちになったことでした。

つらさは消えない

 周囲の桜もやがて花を散らし、新緑の季節になった6月のある日、黄桜の木がたっていたあたりに、名も知らぬ草花がいっぱい咲いていることに気がつきました。おそらく、倒れた木が栄養となって土を育て、小さな草花たちを芽吹かせたのでしょう。この草花たちは、「見えない黄桜の木」によって育てられたのだと思うと、なんだか寂しい中にも懐かしいような、それでいて「見えない黄桜」は今もここにたっているのだと思えて、心強くなりました。

 今年7月、私のお寺の近くで、京都アニメーション放火事件が起こり、多くの方が犠牲となりました。あまりにも大きな事件に、何かできることはないかと、毎月命日に現場となった場所を訪れ、手を合わせてきました。

 ある時、そのことを知られたご遺族から、お寺に電話がかかってきたのです。遺骨を抱きしめながら、1時間以上にわたって、亡くなられた息子さんの思い出を語られたその方は、「いるのが当たり前だと思っていました。でも、突然いなくなって、すごく、すごく寂しくてつらくて...。お念仏しても、つらさは消えなくて...」と嗚咽(おえつ)しながら、つらい中にも息子さんとの思い出を話してくださいました。

 私はただただお話を聴かせていただくことしかできませんでしたが、息子さんとの思い出を語るお母さまの言葉の一つ一つやお念仏の中に、息子さんは生き続けておられると思いました。

 黄桜の木は倒れてなくなったけれど、〝見えない木〟として、草花たちのいのちを通し、今、私の心の中にたっています。

 私も、この12月22日で父がお浄土へ往生してから5年目の冬を迎えます。住職となって5年経ってもなお、聴くことの大切さと難しさを痛感するばかりで、何もできないのですが、父が伝えてくれたお念仏や、心の内を話してくださる方々が、この私を育ててくださいます。見えない黄桜の木のように。

(本願寺新報 2019年12月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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