読むお坊さんのお話

今は言わないでくれ -お慈悲のど真ん中を歩ませていただく-

福岡 智哉(ふくおか ともや)

布教使 兵庫県姫路市・圓福寺衆徒

何もできない私

 ある日、お寺の電話が鳴りました。電話の主は、お寺の役員Aさんの奥さんでした。

 「実は主人のすい臓にがんが見つかりまして...。お寺にはもう行けないと思います」

 余命数カ月という衝撃的なお電話でした。大変お世話になっている方で、住職の父らがすぐにお見舞いに出かけることになりました。

 「まさか...」

 緊迫した空気が、その場を支配していました。そんな中、私は一人留守番をすることになりました。

 数時間後、皆が戻ってきました。父が重い口を開き、「もう長くないと思う。お前もお世話になったんだから、明日お見舞いに行かせてもらいなさい」と告げられました。

 その瞬間から、私の心の準備が始まりました。いったいどんなお姿をされているのだろうか、何をお話しすればいいのだろうか...。全く思いが至らず、苦しみました。

 翌日、お見舞いに行くと、Aさんはいつもと変わらない柔和な笑顔で迎えてくださいました。しかし、私のほうは何も言葉が出ません。準備したはずの言葉も何も出ないのです。そんな私を見かねてかAさんは、「よく来てくれたね」と優しく声をかけてくださいました。

 「はい」と返事するだけで精いっぱいの私。お坊さんである私に何ができるだろうと考えましたが、何もできないのです。しばらくして、気づけば次のようなことを口走っていました。

 「Aさん、一緒にお念仏しましょう。阿弥陀さまは南無阿弥陀仏と、あらゆるいのちに入り満ちてお念仏となってくださいます。いのち終えたらお浄土がありますよ...」

 いつもご法座に来てくださっているAさんだから喜んでくださると思ったのですが、口をついて出た言葉は違いました。

 「ぼんちゃん、言いたいことはわかるで。でもな、今はそんなこと言わないでくれ。こんな病気に私は負けない。またみんなの前に元気になって立つから。今は仏さまとか、お浄土があるとか言わないでくれ」

 正直ショックでした。しかし、必死になって生きようとされるその姿は、とても尊いお姿でした。

確かなみ手の中で

 その日から毎週お見舞いに行きました。しかし、会うたびにお姿が変わり果てていくのです。

 一週目、手足がしびれ、感覚が鈍くなられる。二週目、薬の影響か、顔色がすぐれない。三週目、お腹(なか)と背中が腫れて体のあちこちが痛いとおっしゃる。毎回、世間話をして帰りました。しかし、三週目の帰り際、「ぼんちゃん、一緒にお念仏しよう」とおっしゃいました。驚きましたが、互いに手を握ってお念仏をしました。その三日後、この世の縁を終えていかれました。

 私はAさんの上にどんなことが起こったのか、今でも想像を巡らせます。

 思い通りにならない体を抱え、毎日不安に押しつぶされそうになりながら、歯を食いしばって生きていらっしゃったのではないか。

 元気な時は、朝目が覚めるのは当たり前のことだったが、明日のいのちすら保証がないことに愕然(がくぜん)とされ、何日も眠れぬ夜を過ごされたのではないか。

 きっと夜は長く、今までの一生を回顧されたのでは。仕事のこと、出会った人々、家族のこと。そしてもしかしたら、長年お寺参りをされたことも思い出されたのではないだろうかと。

 もしかしたら、その手で体をさすりながら、自分にしか聞こえない声でお念仏をなさったかもしれません。そんなことを想像するのです。

 それは、Aさんと阿弥陀さまの一対一のことですので、私が立ち入ることのできない領域です。しかし、阿弥陀さまの確かなみ手の中、安心していのち終えていけるなら、どんな姿であれ、どんな一生であれ尊いことではないでしょうか。

 阿弥陀さまは不安や絶望に打ち勝った先に救いがあるのではなく、苦しみの中にも救いが届いていることを教えてくださいます。常に私のいのちの上ではたらき、人知れずこぼす涙の中にもご一緒です。

 阿弥陀さまのお慈悲は、そのままの私を見捨てないということ。その温かさに気づかされる時、うれしさがこみ上げます。そんなこの上ない温かさ、うれしさを味わいながら、お慈悲のど真ん中を歩ませていただきます。

(本願寺新報 2020年03月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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