今 聞かせていただく -「どんなときもあなたを独りにしません」-
井上 慶永
布教使 新潟市西蒲区・妙光寺住職

便利な社会なのに
突然ですが、みなさんは普段、締め切りを守っていますか? もちろん、締め切りは守ったほうがいいに決まっていますし、間に合わないと大変なことになってしまう場合があります。
現代社会を生きる私たちは、毎日さまざまな締め切りに追われています。仕事の締め切りやプライベートの締め切り。年度末は特に慌ただしい時期です。予定帳やカレンダーを見て、いついつまでにこれをやらなきゃと、毎日、追い立てられている人も多かったのではないでしょうか。
わかっていることなのだから、早めに取り組めばいいのに、締め切り間際にならないと重い腰が上がりません。いつも締め切り前にバタバタしてしまいます。みなさんも経験があるのではないでしょうか。
「締め切り(〆切)」とは、辞書によると「物事を打ち切って終わりにすること。特に、期日・時限などを定めて、事務の取り扱いなどを打ち切ること。また、その期日・時限」とあります。つまり、何かするにあたって、時間に条件をつけるということです。
「いついつまでにしないとダメ。それ以降は受け付けません」という話です。私たちの社会は、そのような約束事で成り立っています。人間は一人では生きられません。直接的にしろ間接的にしろ、みんな誰かとつながり、誰かと関わり合って生きています。二人、三人と集まって何かをするためには、約束事が必要です。これだけ多くの人が関わって成立している現代社会では、お互いが締め切りを守らないと世の中が動いていかないわけです。
でも、締め切りは私の都合に合わせてくれません。こちらがその条件に合わせなければなりません。締め切りは、私たちがよりよい生活を送るための約束事として必要ですが、気がつくとみんな何かの締め切りに追われ、いつも「あれはいつまでだっけ?」「これ、締め切りまでに終わらないよー」と言いながら、時間に振り回されて過ごしています。
それは時として、とてもストレスになります。特に今はインターネットやスマホで何でも管理できる時代です。昔より多くのことができるようになって、結局みんな欲張りになりました。それだけ締め切りも増え、便利な世の中が私たちを苦しめるという矛盾が蔓延(まんえん)しています。
そのうち聞きます
便利になって時間に振り回される。そんな時代だからこそ、時間の制約などない依りどころが必要なのです。「いつでも見ているよ、そばにいるよ」と言ってくれる存在。そんな存在が私たちには必要なのではないでしょうか。
阿弥陀さまは、そんな仏さまです。
「アミダ」は古いインドの言葉で、「限りない光といのち」の仏さまという意味です。それは「どんなときもあなたを独りにしません」という呼びかけでもあるのです。阿弥陀さまは締め切りをつくられません。先立たれた方々も阿弥陀さまと一緒にいつも私たちを見守ってくださいます。
締め切りに追われる現代人ですが、反対に締め切りがなかったとしたらどうでしょうか。人間は「締め切り」がないといつまでたってもやらないというところがあります。「いつでもいいよ」と言われると、結局いつまでも...となってしまいます。
人生もそんなところがあります。大切な事でも、自分の損得に関わってこないと無関心になりがちです。
「人生の大切な依りどころ、阿弥陀様の願いをきかせていただきましょう」と言われても、「いつか聞きます」「そのうち聞きます」と言って後回しにするのが私のすがたです。そのすがたを見抜き、「今、一緒に阿弥陀さまの願いを聞きましょう」と勧めてくださるのが親鸞さまです。
3年後の2023年には、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃(きょうさん)法要をお迎えします。親鸞さまはまさに今、「正信偈」やご和讃、お手紙などを通して、800年の時を超えてたくさんのお言葉を届けてくださいます。そのお言葉を通して、私たちは阿弥陀さまの願い、そのはたらきに出あわせていただくことができるのです。
せっかくいただいたお念仏のご縁です。時代を超えたはたらきを、今一緒に聞かせていただきましょう。
(本願寺新報 2020年04月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
※カット(え)の配置やふりがななど、WEBサイト用にレイアウトを変更しています。
※機種により表示が異なるおそれがある環境依存文字(一部の旧字や外字、特殊な記号)は、異体文字や類字または同意となる他の文字・記号で表記しております。
※本文、カット(え)の著作権は作者にあります。