親鸞聖人いまさずは -親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要に向けて-
櫻井 法道
小樽市・新光保育園園長 広島市・正向寺衆徒

「ただ念仏して」
人生には「三つの坂」があるといいますが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大によって、「まさか」の坂に直面しているところです。今までの生活様式が一変し、「普通の日常生活」があらためて「有り難い」生活であったという思いを強くしているところです。
また、自分にとって「死ぬこと」は関係ない。あるいはまだまだ先のことと考えていたことが、予期せぬ「死」は誰にでも訪れることだと、この新たな感染症から知らされたところでもあります。
このような「混迷の時代」だからこそ、自らの人生の根本問題(老・病・死)の解決について、「宗教」の持つ役割や意味が問われているのではないでしょうか。
私たちの宗教は「仏教」であり「浄土真宗」です。宗祖は「親鸞聖人」であり、「混迷の時代」に生を受けられました。
親鸞聖人のご廟所(びょうしょ)である大谷本廟(ほんびょう)は、京都東山から山科(やましな)に抜ける国道の左側にあります。絶え間なく線香が香り、多くの参拝者が訪れます。反対の国道の右側にあるのは、戦国時代の天下人となった豊臣秀吉のお墓「豊国廟」ですが、訪れる人はまばらであったように思います。この差は何でしょうか。
この世の成功・名利(みょうり)を手にした豊臣秀吉とは対照的に、親鸞聖人の生きざまは、世俗の成功とはかけ離れたものでした。しかし、聖人のご生涯は、一人の「人間」としてどう生き、どう救われるか、人生の目標(真実)を求めてのご生涯であり、「人間」であることに苦悩された姿に、時代を越えて人々から共鳴共感されてきたことが大きな魅力になっているのではないかと思います。
そんな親鸞聖人にお会いできたらと思うとき、『歎異抄』の第二条には、親鸞聖人のもとへ関東から京都に命がけで訪ねてきた門弟(もんてい)の方々に対面された場面が語られています。
聖人は「ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰(おお)せをかぶりて、信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり。念仏は、まことに浄土に生(うま)るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業(ごう)にてやはんべるらん、総じてもつて存知(ぞんじ)せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候(そうろ)ふ」(註釈版聖典832ページ)と言い切られたのです。
「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」との短い言葉の中に、人生をかけてたどり着かれた親鸞聖人のまぎれもない選びとりと、常に念仏を申されている姿が生き生きと語られています。
私の申すお念仏のみ教えは、「いのち」に寄り添うように伝えられてきました。「いのち」の存在は父母無しではありえないことです。私の祖先を十代さかのぼると、単純計算で千人以上になり、その誰一人として欠けることがなかったことによって私が存在していると言えます。
「日頃から」が大切
皆さんは着物を織(お)る織機(しょっき)をご覧になられたことがあると思いますが、縦糸が上から下へ張られているところへ横糸を通して織られていきます。まず縦糸がしっかりと通っていることが大切です。
仏教ではお釈迦さまの説法を記したものを「経(きょう)」(お経)といいますが、経という字は織物の縦糸のことなのです。経典は時代を貫(つらぬ)いて伝えられてきた縦糸です。「浄土三部経」といわれるのが浄土真宗の経典です。
これを依りどころとする親鸞聖人のみ教えは、死ぬべき人生を生きているのではなく、阿弥陀さまによって建立(こんりゅう)されたさとりの浄土から、かえるべきいのちの故郷はここであるぞとよび続けてくださっている阿弥陀仏のよび声を聞き、安心してこの人生を歩ませていただくことです。
この親鸞聖人のみ教えは、「臨終」の時に浄土への往生が決まるのではなく、「平生業成(へいぜいごうじょう)」といって、平生に浄土往生が決定(けつじょう)しますので、まさに今が大切なのです。阿弥陀さまのお救いは、平生の聞信の時に往生が定まります。
いざという時になってから慌てるのではなく、日頃から仏縁を大切にして仏法を聴聞し、お念仏をさせていただくことが何よりも大切であるということです。
(本願寺新報 2020年07月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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