「親さまをたのめ」 -亡き父の遺言で仏法求道の苦難の道を歩む-
山本 耕嗣
布教使 広島県福山市・善行寺衆徒

「因幡の源左さん」
浄土真宗の篤信(とくしん)な念仏者を称(たた)えて「妙好人(みょうこうにん)」と呼んでいますが、その妙好人の一人に「因幡(いなば)の源左(げんざ)さん」がいます。
足利源左さんは、天保(てんぽう)13(1842)年、農業を営む父・善助と母・ちよの子として、現在の鳥取県青谷町で生まれました。父親は40歳の頃にコレラにかかりました。激しい下痢(げり)と嘔吐(おうと)の苦しみの中で、18歳のわが子に最後の力を振りしぼって、「おらが死んだら親さまをたのめ」と言い残しました。「親さま」とは阿弥陀さまのことです。
それを聞いた源左さんは、十余年にわたって「死とは」「親さまとは」「たのむ(おまかせする)とは」という疑問を背負って、苦難の求道(ぐどう)をすることになります。
父・善助が財産などではなく、仏教をたよれと言い残したのはなぜでしょうか。それは永遠に変わらぬ真実である仏教こそ、必ず帰依(きえ)すべきものであり、それこそが本当のしあわせであると、いつもお寺で仏教を聞いていた父親なればこそ、子どもに言い残したかったのです。
物の豊かさの中で暮らしている私たちは、子どもたちや地域の人々に何を残そうと努力しているか、考えてみる必要があると思います。
源左さんにとって、父・善助の遺言が仏教を聞き始める動機となりました。今まで考えたことのない宗教の問題を昼夜を問わず考え、仕事も手につかないほどでした。しかし、お寺に参ってお説教を聞いても、京都に行って学者に聞いても、らちがあかない日々が、それから10年余り続きました。
ある夏の朝、源左さんはデン(牛のこと)を連れて草刈りに行きました。刈り取った草をデンの背に乗せ、一把(いちわ)だけ自分が背負って帰りかけると、急にお腹(なか)が痛くなって動けなくなりました。
仕方なくその一把をデンに乗せると、腹痛がウソのように楽になりました。その瞬間、源左さんは父の遺言の意味が「ふいっとわからしてもらったいな」と領解(りょうげ)できたのでした。
自分が背負わねばと力んだところをデンにまかせた途端、身が軽くなった。つまり、自分の生も死も全てをしっかりと支えて「お前の人生は私が引き受けた」と呼び掛けてくださる阿弥陀仏のましますことを、源左さんは全身で気づかせてもらったのでした。
「ああ、これだっただなあと思って、世界が広うなったようで、やれやれと安気(あんき)になりましたわいなあ。不思議なことでござんすなあ、ナモアミダブツ。デンはおらの善知識(ぜんちしき)(仏道に導く者)だいな」
それ以後、源左さんは何事にも阿弥陀仏の教えを聞いて生きる人生を歩まれたのでした。
一人残らず助かる
父・善助の遺言のおかげで真剣に仏教を聞く身となった源左さんは、自分が悪業(あくごう)煩悩を抱えたまま、間違いなく阿弥陀仏に救われることを聞き続けていかれました。
ある友人が「自分のような者でも助かるだろうか」と源左さんに尋ねました。
「助かるとも、一人残らず助かる。おらのような悪人でも助かるんだから、全く心配はいらんだいのう。誰が悪いの、彼が悪いのちゅうても、この源左ほど悪いヤツはいないでのう。この悪い源左を一番に助けるとおっしゃるで、他の者が助からんはずはないじゃないか。ありがたいのう」と源左さんは答えたといいます。
また、あるお寺のご住職が「源左さんや、あんたを本にのせるがの」と言えば、「まんだまんだのしてくださんすなよ。これから監獄(かんごく)の厄介になるかもしれんけえなあ」と言いました。
「なぜだがや、87にもなって...」とご住職が聞き返すと、「煩悩具足の凡夫(ぼんぶ)ですけえなあ、十悪五逆(じゅうあうごぎゃく)の罪をもったおらでござんすけえなあ」と答えました。
源左さんは、自分自身が死ぬまでどんなことをしでかすかわからない存在であることを、仏教によって知らされたのでした。
私たちは自分が善人である、自分が正しいと思っていますから、争いが尽きません。しかし、源左さんは阿弥陀仏の光に照らし出されたおかげで、世界中で一番の悪人は自分であると言わずにはおれなかったのでした。
源左さんのように真実を求め、真実の道を生き、お念仏を喜ぶ身にさせていただくことが何よりも大事です。
(本願寺新報 2020年08月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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