読むお坊さんのお話

親鸞聖人いまさずは -親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要に向けて-

三上 明祥(みかみ みょうしょう)

布教使 滋賀県大津市・本福寺住職

またあえる世界

 12年前、私の人生観を大きく変える出来事が起こりました。私が勤務する保育園のお子さんが亡くなったのです。

 当時まだ5歳でした。おさげ髪のよく似合うその女の子は、脳に腫瘍(しゅよう)ができ、しばらく治療のためにお休みされることとなりました。

 お母さんから、長い入院生活になりそうだけれど、必ず戻ってくるので保育園での席はそのまま残しておいてほしいと連絡がありましたが、結局、それから一度も登園することなく亡くなってしまいました。

 お葬式は、お母さんたっての希望で、保育園と同じ敷地にあるお寺の本堂で行いました。もともと、お寺とご縁があったわけではありませんが、わが子の思い出が詰まった保育園で、毎日み仏さまに手を合わせた本堂で見送ってあげたいという思いがあったのだと思います。

 あの時、お母さんが涙ながらに言われた、「先生、お浄土ってありますよね」という言葉が今も忘れられません。

 お母さんは、わが子が保育園で聞いてきたみ仏さまのお話を思い出し、すがるような思いで「お浄土」という言葉を口にされたように思います。

 今年の夏、女の子の十三回忌をおつとめしました。ご自宅のお仏壇の横には、おさげ髪のかわいい写真と、当時、遊んでいたおもちゃ、そして遺骨が今も変わらず並んでいました。

 おじいちゃんは「お骨は、私が死んだときに一緒に入れてもらうんです」と言われました。家族の時間は、あの時のまま止まっているのかもしれません。

 この12年、お母さんはお浄土でまたあえるということを支えに必死で生きてこられたのだろうと思います。しかし、別れの悲しみとともに生きたこの12年は、同時にわが子のことを思い続け、いつもわが子に支えられながら歩んだ人生でもあったのだろうと思うのです。

 またあえる世界は、実は今ここでであう世界だったのです。生と死の境を超え、悲しみを通していのちといのちがであってゆく世界、それが阿弥陀さまのお浄土なのです。

凡夫に向けた願い

 阿弥陀さまは私たち一人ひとりに「お願いだから、必ず私のさとりの浄土に生まれると思って、お念仏申して生き抜いてくれよ」と、そのいのちの依(よ)りどころをお浄土へと定めてくださいました。

 ですから、その願いの中にある私たちは、遺影や遺骨にすがって生きる必要はないと言えます。ただ念仏申しお浄土への道を歩ませていただくのみなのです。

 しかし、人の心というものは、そんなに簡単なものなのでしょうか。いくら阿弥陀さまの願いを聞かせていただいても、大切なわが子を失った時、変わらずその願いにうなずくことができるのでしょうか。わかっていても、頭で理解していても、その骨にしがみついて生きることしかできない悲しみがそこにはあるように思うのです。

 親鸞聖人は、どうしても拭(ぬぐ)い去ることのできない苦悩を抱えた人間の姿を「凡夫(ぼんぶ)」と味わわれました。

 「『凡夫(ぼんぶ)』といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身(み)にみちみちて、欲(よく)もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず」(註釈版聖典693ページ)と示されます。

 人間の欲望はとどまることなく、怒りや腹立ちは絶え間なくわき起こり、他人を嫉(そね)み妬(ねた)む感情はおさまることがない。それは、人生の最後の時までなくなることはないといわれるのです。苦しい道だとわかっていても、わが子の面影を抱きしめながら生きていきたいと思う、そんな親心もまた凡夫の姿なのかもしれません。

 阿弥陀さまの願いは、この凡夫に向けられたものです。自分ではどうすることもできないほどの苦しみを、そのまま受けとめるお浄土という世界を示してくださった阿弥陀さまの願いにであうことができなければ、生きていくことさえできなかった。そんな深い悲しみに、私たちは人生の中で出会うことがあります。だからこそ阿弥陀さまは、その願いが込められたお念仏を支えとして、苦しみ多い人生を生き抜いてくれよと願われるのです。

 悲しくて苦しくてどうしようもない時は、心の底から泣けばいいのです。その涙を受け止めてくださる阿弥陀さまの願いを親鸞聖人は届けてくださいました。

(本願寺新報 2020年10月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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