読むお坊さんのお話

親鸞聖人いまさずは -親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要に向けて-

高田 篤敬(たかだ あつのり)

仏教壮年会連盟指導講師 岐阜県本巣市・蓮教寺住職

弥陀は母なり

 親鸞聖人は、『高僧和讃(わさん)』の善導(ぜんどう)大師を讃(たた)えるご和讃で、
 釈迦(しゃか)・弥陀(みだ)は慈悲(じひ)の父母(ぶも)
      (註釈版聖典591ページ)
と讃(たた)えられ、そのお心を「釈迦は父なり、弥陀は母なりとたとへたまへり」と示されました。阿弥陀さまの慈悲を、母の子を思う心にたとえておられます。

 ところで、私には7歳下の弟がいます。歳が七つ離れていますので、彼が小さい時のことをよく覚えています。

 弟が幼稚園に通っていた昭和50年頃のことです。当時は近所の子どもたちが、お互いの家に上がり込んで遊ぶことも多かった、のどかな時代でした。

 小学校の5年生ぐらいだった私が学校から家に帰ると、玄関に何人かの制服の警察官がいて、母と話をしていました。その時の母の顔は、それまで見たことのない顔で、涙を流しながら真剣に話しあっています。

 何があったのかたずねると、「弟がいなくなった」とのことでした。はじめは、いつも通り近所の家にいるのだろうと安心していましたが、夕方になって友人宅を探してみても「いない」との返事。だんだん不安になって、近くを探しまわってもが見つからず、とうとう警察に連絡をしたようです。

 おろおろしながら状況を話す母と、真剣に、そして時に落ち着かせるような穏やかな表情で聞いている警察官。緊迫した時間が流れていました。そこへ「ただいま!」と笑顔で弟が帰ってきました。

 どうやら、よく遊んでいる友達と、そのご両親に連れられ出かけていたということでした。そのご両親も〝おおごと〟になっていたわが家に対し、申し訳なさそうにその時の様子を話しておられました。

 母は、5歳の弟を抱きかかえて、「よかった、よかった」「ゴメンね、ゴメンね」と、涙を流しながら笑顔で呼びかけていました。一方、弟はというと、何があったのか? お母さんはなぜ泣いているのか? といった様子で、きょとんとしていたのが印象的でした。

自分だけでなく

 それから40年が過ぎた頃、私も父親になり、私の長男が当時の弟と同じ年齢の頃に、こんなことがありました。

 家族でタクシーで出かけた時のことです。目的地に到着して、私は助手席から、連れ合いは下の子を連れて後部座席から降りると、運転席の真後ろに座っていた長男は、自分でドアを開けて右側に降りてしまいました。

 自分だけが右側に降りたことに気がついた長男は、慌てて車の前から反対側へまわろうとしたのです。タクシーは気づかず発進しようとしたその時、「危ない!」と、見ていた方が叫び声をあげてタクシーは急停車。その車の前から長男が走ってこちらにきました。

 「あぶなかった...」とほっとしていた時、連れ合いは長男を抱きかかえて、「ゴメンね」「目をはなしてゴメンね」と繰り返し語りかけていました。長男のほうは、やはり、何があったのかと、不思議そうな顔をしていました。

 親は、子どもが生まれるよりも前から、子どもに語りかけ、子どもの全てを背負う決意をもって親の名乗りをします。その心は、仏さまの大いなる慈悲のお心と比べることはできませんが、親鸞聖人は「弥陀は母なり」とお示しになられました。

 涙を流す母親に抱きかかえられても、きょとんとしている子どものように、私たちも阿弥陀さまの慈悲をすぐには感じられなくても、母のような阿弥陀さまのお慈悲につつまれていると、親鸞聖人はおたとえになられているのではないでしょうか。

 私たちを「決して見捨てない」と誓われる仏さまの大慈悲は、私たちにはなかなか感じ取れないのかもしれません。しかし、だからこそ、私たちが感じ取ることのできる心の一つ、親の心でたとえられるのでしょう。

 その大悲心は「あなたを必ず救いとる。仏にする」というはたらきであり、お育てです。その心につつまれて生きる私たちは、「自分だけを大事にすることなく 人と喜びや悲しみを分かち合います 慈悲に満ちみちた仏さまのように」と、ご門主が「私たちのちかい」に示された通り、仏さまになるこのいのちを、喜んで生きていきたいと思います。

(本願寺新報 2020年11月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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