読むお坊さんのお話

しなやかな心を恵まれて-雨の日には雨の日のご説法がある-

河智 義邦(こうち よしくに)

岐阜聖徳学園大学教授 島根県邑南町・明賢寺住職

「禍」と「災い」

 世界中を席巻している新型コロナウイル感染症は、いまだ収束が見通せない状況にあります。「新しい生活様式」「3密回避」「ソーシャルディスタンス」といった言葉に代表されるように、私たちはライフスタイルの変更を余儀なくされ、「コロナ禍」という言葉を聞かない日はありません。

 禍は「わざわい」とも読みますが、同じ読み方をする「災い」が、天災的な災害、防ぎようのないものを意味するのに対し、禍は、人為的な努力によって防げたもの、防いでいくことができることを表すそうです。

 前向きに捉えますと、「これからも感染予防に気をつけ頑張っていきましょう」となるのですが、そうとばかり思えない私の性根(しょうね)があることもまた事実です。

 「どうして防ぐことができなかったのか」「当たり前の日暮らしを奪ったのは誰なのか」。ネガティブ思考がくすぶっています。

 親鸞聖人は、お手紙の中で、生死無常(しょうじむじょう)の道理は、如来さまが詳しく説いておられることですので、あらためて驚かれるには及びません、と記されています。

 無常の教説は、この世界に久しく同じ状態で留まるものはないことを示すとともに、何よりも「人生は思い通りにはならない」というお諭(さと)しでもあります。

 ところで、巣ごもり生活が続いていたときに、娘と近所の公園に散歩に行くことがありました。そのとき、木の下にいたアマガエルを見つけて、そのカラダが灰褐色(はいかっしょく)になっていたのを興味深く見ていました。

 色が変わるカラダの仕組みを娘に話しますと、「上手にできるんだね」と感心していました。

 カエルは与えられた環境・状況に上手に自分を合わせて生きています。コロナ禍での私たちの生活も、その状況に合わせての生活をしています。いや、強いられている、というのが私の本音です。

私の本性知らせる

 人間はカエルと違い恒温(ごうおん)動物で、どんな環境でも自分の体温を一定に保つような体の仕組みになっています。

 では、心はどうでしょうか。私はある意味、心も常に一定の状態を保つようになっているように思います。それは、常に何事も自分の思い通りにしたいという意識(我執(がしゅう))で一定していて、これが私の性根の正体です。

 そしてまた人間の意識は、大きな変化や未知なるものを受け入れず現状を維持することに固執するという特性も持ち合わせているようです。私自身、特にその傾向が強いと実感します。

 親鸞聖人の『教行信証』には、阿弥陀さまの光に触れる人は、身と心が柔らかくなるとあります。阿弥陀さまの広大な智慧のお心をいただく人は、自分の頑(かたく)なな心に気づくとともに、いかなる状況が現れてこようとも、ありのままにそれをよく受容し、それに順応できるように、柔軟な考え方・生き方ができるということでしょう(もちろん、人権侵害や違法行為などを受けた場合は対象外です)。

 教育学者として名高く、浄土真宗のみ教えに生きられた東井義雄先生の詩集の中の「ご説法」という作品に、次の一節があります。

  雨の日には
  雨の日にしか聞かせていた だくことのできない
  言葉を超えたご説法がある
  老いの日には 
  老いの日にしか聞かせてい
  ただけないご説法がある
  病む日には
  病む日のご説法がある

 お念仏申すことが身についている人には、自分の思いに逆らう出来事が次から次へと押し寄せてきても、それを阿弥陀さまのご説法と受け止め、そのことの意味を見つめ、人生の味わいを深めていくことができるのです。

 阿弥陀さまの教えは、さまざまな姿や出来事となって、その都度、私の性根を知らせ、柔軟な心に転じてくださいます。

 公園で出会ったカエルの姿は、私にとっては身業(しんごう)説法(姿や態度による説法)でした。そして、最近になってわが家では、小さな子犬を迎えました。いまはやんちゃな子犬が家庭の中心になっていて、なんとか安定を保っていた私の日常生活はまたもや大きく揺らいでいます。

 しかし、この子犬にもまた、さまざまに言葉を超えて多くのことを説法してもらえるものと考え、共生(ともいき)していきたいと思っています。

(本願寺新報 2020年11月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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