読むお坊さんのお話

親鸞聖人いまさずは -親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要に向けて-

佐藤 知水(さとう ちすい)

布教使 岡山県井原市・光栄寺衆徒

お父さーん!

 数年前のことです。私は友人が勤める葬儀会社の「終活セミナー」に誘われ、家族で参加しました。

 会場では、遺産相続セミナーをはじめ、葬儀やお墓の説明ブース、遺影の撮影会などがあり、たくさんの人が集まっていました。

 その中で私の目的は、唯一人気のない「入棺(にゅうかん)体験」コーナーでした。

 皆さんはお棺に入ったことはありますか? お棺に入りたいと思われますか?

 私は一度お棺に入ってみたかったのです。なぜならご門徒や親族家族など、たくさんの葬儀に会わせていただいていますが、毎回、私はお見送りをする側です。一度たりとも見送られる側に立ったことがありません。ですからお棺に入ったらどんな思いが湧くのか関心がありました。

 お棺に入った瞬間、その寝心地のよさに驚きました。大柄の私でもすっぽりと入ることができ、まるで母の胎内に戻ったような安心感すらあるのです。しかし突然、蓋(ふた)が閉められました。急に辺りは真っ暗です。ガヤガヤと騒々しかった外の音も遮断され、しんと静かになりました。

 突然のことに少し不安を感じました。何かを考える時間はあまりありませんでしたが、ただ「ああ、お棺ってやはり一人専用だな...。たった一人で行くのだな。全部離れていくのだな」と思いました。

 その時、「お父さーん!」と呼ぶ声がしました。子どもたちが私を呼んでくれたのです。

 「ああ、この子たちとも時が来たら離れてしまうのだ。そしてこの子たちもたった一人で行かねばならないんだ。何ひとつ連れ添うことなく、皆置いていかねばならない時が必ず来るのだ」と思うと、無性に寂しさが込み上げてきました。その時、蓋が開き、ホッとしたのを覚えています。これが私の入棺体験です。

仏さまがご一緒

 さて、皆さんにとって大事なものは何でしょうか。家族、友人、仕事、趣味、財産など大事なものはさまざまあります。しかし、この中で自分の死に際しても頼りになり、私から決して離れないものはあるでしょうか。

 親鸞聖人は『浄土和讃』に、
  畢竟依(ひっきょうえ)を帰命(きみょう)せよ
     (註釈版聖典557ページ)
とお示しくださっています。

 「畢竟依」とは究極の依りどころのことで、最後の最後まで私から離れないものです。それは阿弥陀という仏さまです。そして阿弥陀仏は私たちのお称(とな)えするお念仏となって、今、私たちに至り届いていると親鸞聖人はお示しくださっています。

 ところで、一昨年往生した私の祖母の口癖(くちぐせ)は、「やっぱり南無阿弥陀仏しかないな」でした。先日、三回忌を迎え、家族で「おばあちゃん、よく言っていたね」と懐かしく話しました。

 ご法座の時には誰よりも前に座って、「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ」とお念仏をお称えしながらご法話をうれしそうに聞く祖母でした。そしてご法話が終われば決まって、「やっぱり南無阿弥陀仏しかないな」としみじみつぶやいていました。

 祖母の晩年は、病気や認知症で入退院を繰り返しました。穏やかな時もありましたが、思うようにならない歯がゆさから、つらそうな時もありました。そして93歳を一期(いちご)としてお浄土に参ったのです。

 今まであて頼りにしてきた知識や経験、健康や記憶すら離れていく悲しみは計り知れません。そして、「南無阿弥陀仏しかない」とわかっていても、離れていくものに執着してしまうのはもっとつらかったことでしょう。しかし、祖母は知っていました。そんなわが身を目当てとしてくださる阿弥陀さまがご一緒だということを。自分の思いやはからいを超えたところから、この身の苦悩のどん底にまでも届くはたらきがあるということを。

 今あらためて入棺体験を振り返ると、あの時の寂しさは執着でした。そして祖母のお棺の姿は、執着から逃れられない私に「究極の依りどころであるお念仏とは何か」を教えてくれました。

 畢竟依(ひっきょうえ)―この究極の依りどころに出遇(あ)うということが、この人生にどれほど大切なことか、親鸞聖人がいらっしゃらなければ、知らされることはなかったのです。

(本願寺新報 2020年12月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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