弥陀の大悲が聞こえたとき -本当に恩を知った時、感謝の思いが沸き起こる-
髙多 未明
相愛大学非常勤講師 奈良県橿原市・金臺寺住職

1日100回
毎日100回、「ありがとう」と言うことを目標にしている方がおられます。一緒に暮らす家族、親しい友人、学校や職場の人々...。そんな方がたにお礼を言う場面は、日常的にあるでしょう。それでも100回となると、接客業か商店を営んでいない限り無理ではないかと思ってしまいます。
落としたハンカチを拾って声をかけてくれた人、エレベーターのドアを開けて待ってくれた人などには、ほぼ反射的にお礼を言うでしょう。郵便など配達員の方々には、お礼とともに労(ねぎら)いの言葉をそえるかもしれません。飲食店やコンビニの店員さんにはどうでしょうか。
道ですれ違う時にほほ笑んでくれたベビーカーの乳児。とびきりの笑顔をくれたことに心の中でお礼を言います。テレビ中継で見ているプロスポーツ選手。直接会ったことはありませんが、勇気をもらったことにありがとうと言っていいのです。中国には「水を飲むときは井戸を掘った人のことを思え」ということわざがあるそうです。現在の日本も、蛇口から安全な水が出てくることの裏には、多くの人のお世話やご苦労があってのことです。ならば、ありがとうを言うべき人の数は、はかりしれないものとなります。
ありがとうを言うのは、何も人に限ったことではありません。「食前のことば」のとおり、「多くのいのち」に感謝を忘れてはなりませんし、そもそも私たち「いのち」を育む大地や空気、太陽に今までどれほど「ありがとう」を言ったことがあるでしょうか。こうして思いを巡らせていくと、1日に100回「ありがとう」を言おうとすることは、同時に「ありがとう」と言うべき対象に気づいていくこととなります。
時として大人が子どもに、「毎日、元気に学校に通えることに感謝しなさい」などと言ってしまうことがあります。しかし、子どもの多くは、自身が健康であることや、学校に通えることを、当たり前とさえ思っていないでしょう。自分自身を振り返ってみても、学校を苦痛に感じることも少なくありませんでしたから、かえって反感しか抱かないようにも思います。無理強いされて成り立つ感謝などないということなのでしょう。
プロ棋士をめざす
晴樹(はるき)君は、幼少からお父さんの手ほどきを受け、とても将棋(しょうぎ)の強い少年だったそうです。どんどん力をつけ、プロ棋士の先生にもめぐまれて、本人もプロの棋士をめざすようになりました。
しかし、プロ棋士への道を実際に歩みはじめると、その壁の高さをいよいよ思い知らされます。中学へ進学する頃には、棋士を半ば断念していました。
伸び盛りである十代前半の経験は、棋士としてのその後を大きく左右します。将棋に身の入らなかった期間の大きさを考え、晴樹君は中学2年生の夏、ついに先生の指導を受けることをやめて学業に専念することにしました。
しかし、先生はその後も顔を出すようにと言ってくれたため、晴樹君は親に内緒でかつての先生のもとを訪れ、しばしば心の底から将棋を楽しんでいました。
晴樹君は大人になり、はじめて知りました。中2の夏以降、高校生のあいだもずっと、父が将棋の先生に以前と変わらず指導費を払い続けていてくれたことを。だからこそ、将棋を楽しみ続けることができ、そんなプライベートでの充実があって、よりよい高校生活が過ごせたのでした。そのことに気づいた瞬間は、今も忘れられないといいます。それまで知らずにいた、父から自分にかけられていた深い思いを知った瞬間だったからです。
「恩」という言葉には、「私のためになされていたことを知る」といった過去を含んだ意味があります。過去からずっと私に向けてなされていた「恩」を知ったその時、ありがとうと言わずにいられないのです。
親鸞聖人は「知恩報徳(ちおんほうとく)」という言葉を用いておられます。本当に恩を知った時、感謝の思いが湧き起こります。阿弥陀さまは、みずから生死(しょうじ)の迷いを重ねる私を見るに見かね、南無阿弥陀仏となって至り届いてくださっていたのです。そんな弥陀の大悲が聞こえたとき、ただただお念仏を申すばかりです。
(本願寺新報 2021年01月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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