「いのち」を知るということ -お互いが尊敬と思いやりの心で日々を送る-
名和 康成
布教使 北海道三笠市・善行寺住職

貴重な実感の場に
私が所属する北海道教区空知南組(そらちみなみそ)では、「空知でとれたお米をご本山に」を合い言葉に、ご門徒の農家の方たちのご協力とご指導のもと、田んぼの一部を使用させていただき、収穫したお米を京都の本願寺へ送らせていただいています。空知南の「空」と「南」をとって「くうなん」、その地域でとれたお米なので「くうなん米(まい)」と名付け、昨年は1150キロ、それに野菜を697キロ、本山に進納しました。
ただお米を送るだけでなく、空知南組の各寺院の門信徒の親子や、地域の児童養護施設の子どもたちと一緒に、田植えや稲刈りを体験し、お米を通して「いのち」の尊さを学ぶ食育講座も行ってきました。「くうなん米プロジェクト」と銘打って、2017年に始まりました。
「他のいのちに生かされて生きていること」は、教科書やインターネットで調べても、本当の意味で知ることはできません。田んぼに足を踏み入れた時の泥のグニャリとした何とも言えない感触や、ぴりりとくる雪解け水の冷たさ、そして腰を曲げつつ苗を植えて進んでいくことが、何と重労働であることか。機械化が進む昨今において、あえて手作業でそれらを行うことで、たくさんの方々のご苦労の上に、今のこの私が生かされているのだということを、まさに「肌で実感」できる貴重な場となっています。
「塩のからさ、砂糖の甘さは学問では理解できない。だが、なめてみればすぐわかる」と、経験することの大切さを喩(たと)えたのは、かの松下幸之助さんですが、「いのちを知る」ということについても、実体験に勝(まさ)るものはないのでしょう。
「いただきます」「ごちそうさま」の心を、身をもって学ぶのと同時に、この私が生きるということについても、肌身を通じて経験することから知らされることが多いように思います。生まれ、老い、死にゆくいのち...、それはいのちそのものが雄弁に語ってくるのです。
私は長男が生まれた日のことを、今でもよく覚えています。腕の中にあるいのちは小さく、軽く、温かく、そして簡単にこわれそうで、怖さも感じました。生まれてくるということは、かくも不思議なことなのだと実感した瞬間でした。
ひとりごのように
昔はとても元気だった私の祖母。その祖母が歳を重ね、手をとり一緒に歩いた時、その歩みのなんとたどたどしかったことか。亡くなった時のあの肌の冷たさは、心にまで響きました。寝ているような雰囲気の中にも、二度と動くことがないその様子は、「あんたもこうなるんだよ」と、祖母が私に語りかけているようでした。
いのちに触れ、それに向き合うことは、時に厳しさを伴いますが、同時に自分自身のいのちの有りようを知ることにもつながります。この世に生まれた以上、老、病、死から逃れられないわが身を知り、そこに届くみ仏さまのお慈悲のお心を聞かせていただく縁(よすが)とさせていただきたいものです。
超日月光(ちょうにちがっこう)この身(み)には
念仏三昧(ざんまい)をしへしむ
十方(じっぽう)の如来は衆生(しゅじょう)を
一子(いっし)のごとく憐念(れんねん)す
(註釈版聖典577ページ)
阿弥陀さまのお慈悲のお心は「一子地(いっしじ)」ともいわれ、生きとし生けるものそれぞれを、まるで一子、ひとりごのごとく、かけがえのない大切な存在としてご覧になっているといわれます。
自分を「かけがえのない大切なもの」と見つめてくれる方がいるということは、まことにありがたいことです。私たちは、阿弥陀さまの優しき慈(いつく)しみのまなざしの中に、今ここにあるいのちが、いかに尊いものであるかということを知らされるのです。
凡夫(ぼんぶ)である私は、自分の都合で「役に立つ」「役に立たない」「使える」「使えない」「必要」「無駄」という、自分中心のものの見方で何事もはかろうとします。そのような私が、いのちの尊さや、かけがえのなさを知るには、み仏さまのお言葉によるしかありません。核家族化がすすみ、特に若い世代は老病死に触れる機会が少なくなっている上に、コロナ禍で人とふれあう時間も大幅に減りつつある今日です。
そんな中、あらためて自分自身が今ここに生きているということの意味を問い、かけがえのなさをみ教えにたずね、あなたも私も如来さまから願われている尊いいのちを生きていると、お互い尊敬と思いやりの心で日々を送りたいと思うのです。
(本願寺新報 2021年02月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
※カット(え)の配置やふりがななど、WEBサイト用にレイアウトを変更しています。
※機種により表示が異なるおそれがある環境依存文字(一部の旧字や外字、特殊な記号)は、異体文字や類字または同意となる他の文字・記号で表記しております。
※本文、カット(え)の著作権は作者にあります。