読むお坊さんのお話

仏さまとなるこのいのち -深い悲しみの中に届けられた尊いみことば-

高田 篤敬(たかだ あつのり)

仏教壮年会連盟指導講師 岐阜県本巣市・蓮教寺住職

ケシの実のお話

 学生の頃、ご法話で「キサーゴータミー」のお話を聴聞しました。「ケシの実の話」といったほうが有名かもしれません。

 キサーゴータミーという母親が、やっと歩けるようになったばかりの一人息子を亡くしますが、わが子の死を受け入れることができません。見かねた町の人が、「お釈迦さまだったら、息子さんを助けることができるかもしれない」と伝えます。

 彼女はすぐに「息子を助けてください」とお釈迦さまのもとをたずねました。この時、お釈迦さまは「その子を助けたければ、これまで誰も死人が出たことのない家から白いケシの実をもらってくるように」とおっしゃいます。

 「ケシの実ならなんとかなる」。わが子を助けたい一心で町中の家々をたずねたキサーゴータミーでしたが、「ああ、なんということだ。自分の子どもだけが死んだと思っていたが、町中の方がみんな家族の死の悲しみを受け入れて生きているのだ」と、死はどこの家にもあることに気づかされたのでした。

 当時、このお話を聞いて、「死を受け入れるためとはいえ、お釈迦さまも酷(こく)なことを言われたものだ」と私は感じました。それは、決して助かることのないわが子が「助かるかもしれない」という希望を抱いてしまうではないかと思ったからです。

 わが子の死は、親にとってはとてもつらいことです。私には7つ下に弟がいます。年が離れているのは、間にもう一人弟がいたからだそうです。私が3歳の時に生まれた弟は、一度も病院から退院することなく、親に抱かれることもなく、数週間で亡くなったそうです。当時のことは断片的に覚えていますが、悲しみやつらさは感じることができなかった年齢だったかもしれません。ただ、その時もその後も、両親、特に母が悲しんでいる姿を見るのが、幼少の私にはとてもつらかったように記憶しています。

なぜ自分だけが

 それから数十年が経ち、私も家庭を持つことができ、長男を授かり、その2年後には次男と三男が双子で生まれました。わが家はとても慌(あわ)ただしくなりました。一段落ついたのは、長男に続いて双子の次男と三男が、3歳で幼稚園に通うようになった頃です。

 ようやく少し落ち着いたと感じていた9月の土曜日、わが家で一番若いはずの双子の弟・三男が急死しました。朝まで元気だった三男は、夕方から熱を出し、それでも夕食は全部食べることができました。夜になって食べたものを吐き出そうとしたのか、それを吸い込んでしまい、あっという間に肺がつまって倒れてしまいました。

 救急車で運ばれた三男は、病院での懸命の治療でも助けることはできませんでした。あっという間の出来事に、なかなかわが子の死を受け入れることができません。それから、多くの方々の励ましの言葉にも、やはりすぐに立ち直る、とはいかない日々が続きました。

 年末が近づいた頃に、一通の封書が届きました。遠くに暮らしている叔母からの手紙です。叔母は父の一番下の妹で、子どもの頃はよく遊んでもらいました。

 「悲しいお知らせを聞き、驚いています。私も生まれることができなかった三番目の男の子をお腹(なか)で亡くしたことがとても悲しかった記憶があります。三年も一緒に過ごしたお二人の悲しみはもっと深いことでしょう...」

 そういえば子どもの頃、私は「叔母さんは女の子が二人だよね? 男の子はほしくないの」とたずねたことを思い出しました。叔母のその時の返事は覚えてはいません。

 知らなかったとはいえ、また子どもだったとはいえ、わが子を失った悲しみを持っていた叔母に、とても残酷なことを言ったのは、私であって、お釈迦さまが酷なことを言ったのではなかったと、あらためて自分のことが恥ずかしくなります。

 大きな悲しみの中で、自分の身に起こったことに「どうして自分ばかりこのようなことに」と、まさにキサーゴ―タミーと同じ思いでしか生きることのできない〝私〟に、お釈迦さまは仏さまの心を説かれました。

 「自分の殻(から)に閉じこもることなく 穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします 微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように」
   (「私たちのちかい」)

 自分の殻に閉じこもることなく、仏さまになるこのいのちを生きたいと思います。

(本願寺新報 2021年04月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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