読むお坊さんのお話

「死」ではなく「生まれる」 -大きな安心を恵まれながらお念仏の人生を歩む-

柱本 惇(はしらもと じゅん)

ビハーラ本願寺 ビハーラ僧 京都市下京区・明覺寺住職

ひとくくりにしない

 私が住職を務めるお寺の境内には、梅の木があります。決して大きな木ではありませんが、本堂のすぐ横にあり、日々お参りの方々を出迎えてくれています。特に2月から3月になりますと、梅の木の前で立ち止まってカメラを向ける方も多く、毎年、梅の花が咲くことを楽しみにしてくださっています。

 「今年は去年に比べてよく咲いたね」「今年は一段とキレイやなあ」などとお話しすることも毎年の恒例となっています。

 春のお彼岸の少し前のことです。その日もいつもと同じようにお参りくださったご門徒の方と一緒に梅の花を眺めていました。私が「今年の梅ももうそろそろ終わりですね」と言うと、「そうやなあ。でもね、住職。梅はこぼれるっていうんやで」とおっしゃいました。

 私はその言葉の意味がわからず、「どういうことですか」と尋ねますと、「梅の花は私たちの目の高さくらいに咲いて、最後は涙のようにポロポロとこぼれていくんよ。だから梅はこぼれるっていうんやで」と教えてくださいました。

 そして続けて「若い人は知らんかもしれんねえ。昔からね、〝桜散る こぼるる梅に 椿落つ 牡丹崩れて 舞うは菊なり〟っていうんよ」とおっしゃいました。

 単純に「終わり」とひとくくりにするのではなく、花それぞれの在り方を表した素敵な日本語だと思います。

 調べてみますと、このほかにも朝顔は「しぼむ」や紫陽花(あじさい)は「しがみつく」という表現もあるようです。それぞれの由来については諸説あるようですが、なんとも味わい深いと感じます。

 では、私たち「人間」はどうでしょうか。つまり、人間の最期(さいご)にはどのような表現が用いられるのか。一般的には「死」という言葉ではないでしょうか。さらには「人間死んだら終わり」というような言い方も耳にします。しかし、私たちのいのちの終え方も「死」や「終わり」とひとくくりにすることはできないのではないでしょうか。

 たとえば、「とても元気だったあの人が、あっという間に亡くなってしまった」

 「まだ死にたくないとずっと病気と戦っていた」

 「お連れ合いさんが亡くなった途端、急に元気をなくして後を追うように...」など、私たち人間にもそれぞれの最期(さいご)があります。散ってしまうようないのちの終え方もあれば、最期までしがみついたり、しぼんだり、崩れたりするようないのちもあるのではないでしょうか。

仏に生まれる人生

 親鸞聖人は、

  まづ善信(ぜんしん)(親鸞)が身(み)には、臨終(りんじゅう)の善悪(ぜんあく)をば申さず、
  信心決定(けつじょう)のひとは、疑(うたがい)なければ正定聚(しょうじょうじゅ)に住(じゅう)することにて候(そうろ)ふなり。
     (註釈版聖典771頁)

とおっしゃっています。

 このお言葉は、親鸞聖人の御消息(ごしょうそく)(お手紙)にあり、関東の門弟である乗信房という方へ宛てられた返書です。

 このお手紙が記された1260年は、その数年前から飢饉(ききん)や災害が続き、日本中でたくさんの方が亡くなられたといわれています。親鸞聖人は老若男女が亡くなられたその現実を悲しまれるとともに、「南無阿弥陀仏のお念仏をいただく者は、必ずお浄土に往(ゆ)き生まれる仲間と定まるのだから臨終の善悪を問わない」とおっしゃっています。

 このことは、「この世のいのち終えたあなたを必ずわが国に生まれさせる。どのような臨終を迎えようとも、あなたは仏になる身に定まっているから安心してその人生歩んでおくれ」という阿弥陀さまのおよび声を示してくださっています。

 「臨終の善悪を問わない」というお言葉からは、誰々の臨終が善かった、悪かったということを問題とするのではなく、今自分自身が阿弥陀さまのお救いに出遇(あ)えたよろこびと大きな安心をいただきながら、お念仏の人生を歩みなさいという親鸞聖人のお心が感じられます。

 私たち人間がいのち終えることを、「終わりだ」「死だ」と表現するのは私たちの見方。一方で、阿弥陀さまは「仏としてのいのちの始まりだ」「生まれるんだ」と、私のいのちを見ておられます。

 そのお心に抱かれ、どのような臨終を迎えても大丈夫だという大きな安心を恵まれながら、お念仏の人生を歩ませていただくことができるのです。

(本願寺新報 2021年04月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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