読むお坊さんのお話

物語にみる価値観 -自分の愚かさに気づかず振り回されている私-

西原 祐治(にしはら ゆうじ)

仏教婦人会総連盟講師 千葉県柏市・西方寺住職

アリとキリギリス

  「このはし渡るべからず」

 最近、この一休さんの頓知(とんち)話をからめたテレビコマーシャルを目にします。「曲がった松の木を、まっすぐに見る」という頓知もあります。「曲がっている松を曲がっている」と見ることが、まっすぐ見ることだというオチです。

 ことわざに「蛇七曲(へびななま)がり曲がりて我が身曲がりたりと思わず」とあります。ヘビが自分の身の曲がっているのに気づかないように、人も自分の欠点をまっすぐに見ることは難しいということです。

 イソップ童話には「アリとキリギリス」があります。まずは原作です。

 「アリたちは夏の間に冬の食料を蓄えるために働き続け、その一方でキリギリスはバイオリンを弾いたり歌を歌ったりして過ごしていました。冬になり、ひもじさに耐えきれずにキリギリスがアリたちに乞(こ)い、食べ物を分けてもらおうとするのですが、アリは『夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?』と辛(しん)らつな言葉を浴びせて食べ物を分けることを拒否しました。その結果、キリギリスは食べるものを得ることができず飢えて死んでしまいました」

 次はよく語られるパロディ話です。

 「夏の間、一生懸命働いたアリをキリギリスが訪ねてみると、アリは出てこない。どうしたんだろう? とキリギリスは裏口から入ってみると、アリは死んでいました。夏の暑い間、一生懸命働いた せいで、過労死したのです。キリギリスは、アリが貯(た)めた食料を食べて、その冬を過ごしました」

 この話を、ある先生が学生にすると、「先生、それは古い」と新バージョンを教えてくれました。それは「食べ物に困ったキリギリスは、夏の間にしっかりと練習した音楽でコンサートを開き、アリさんにチケットを買ってもらいました」というものです。

 これらの物語には、それぞれ大切にしたい価値観が埋め込まれていると思います。

 浄土真宗で大切にしている考え方を、アリとキリギリスの話に埋め込んでみました。

絶望と希望

 「キリギリスは、夏の間にしっかりと練習した音楽でコンサートを開き、アリにチケットを買ってもらいました。アリは、家族と一緒に音楽を聴いているうちに、ふと『自分は、遊んでばかりいるキリギリスさんを見下していた』と気づきます。コンサートが終わってキリギリスに、そのことを打ち明けます。

 するとキリギリスも『実は、ぼくも働いてばかりのアリさんをバカにしていた。でもアリさんは家族を守るために一生懸命だったんですね』と自分の価値観でしか見ていなかった自分を恥じました」

 これは私の創作ですが、自分の愚かさが明らかになる、ここに浄土真宗で大切にしている価値観があります。私たちは、日常生活の中で、自分の愚かさに気づかず、振り回されています。

 ベートーベンに「ハイリゲンシュタットの遺書」があります。ハイリゲンシュタット(現在ウィーンの一部)で1802年10月6日、弟のカールとヨハン宛に、31歳の時に書いたものです。

 手紙の内容は、日ごとに悪化していく難聴への絶望感からはじまります。当時すでに若手の演奏家・作曲家として有名になりつつあったベートーベンは、「私は人より優れた耳を持っていると人から思われているのに、『すみませんが、耳が聞こえづらいので大きい声で言ってください』などとは言えない。弱点を人びとの前へさらけ出しに行くことなど、どうして私にできようか! 何としてもそれはできない!」とあります。

 自分は完璧であるという意識が、絶望の淵へと自分を追い込んでいったのです。

 ベートーベンはその闇(やみ)の中で希望を見出します。日記には「もし後世に自分が不幸だ、と思う者がいて、過去に耳の不自由な音楽家が仕事を完遂(かんすい)したと知ったら、生きる勇気を与えることができるのではないか」とあります。自らの音楽活動に使命感を感じたのです。遺書を書いた後のベートーベンの作品は、交響曲第三番「エロイカ(英雄)」、第五番「運命」、第六番「田園」など、充実した創作時期を迎えます。

 絶望と希望は紙一重のようです。絶望の中での光の到来は、自分の愚かさを認めることによってもたらされるようです。

(本願寺新報 2021年05月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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