読むお坊さんのお話

どんなふうになるのか全然わからない -常に私の在り方を問い続けていく人生を-

小池 秀章(こいけ ひであき)

龍谷大学非常勤講師 仏教婦人会総連盟講師

病気にならない?

 「私は、コロナで死ぬことより、感染した後にいろいろ言われるんじゃないかということが心配です。(中略)ひどいことを言われたら傷つくし、悲しくなるから言わないでいようと思うけど、そんなことを言ってしまうかもしれません。正直、どんなふうになるのか全然わからないです」 (令和3年2月27日付「朝日新聞」夕刊)

 これは、小学5年生が書いた作文の一部です。新型コロナウイルス感染症そのものよりも、感染した人に対する誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)のほうが、心配だというのです。その気持ちは、とてもよくわかります。

 しかし、この作文の中で一番心に残ったのは、後半の「ひどいことを言わないでいようと思うけど、言ってしまうかもしれない。正直、どんなふうになるのか全然わからない」(要約)という部分でした。

 普通なら、「ひどいことを言われたら傷つくし、悲しくなるから言わないでいようと思います」と書きそうなところですが、「どんなふうになるのか全然わからないです」と書いているところが、とても正直だと感じました。

 ところで、お釈迦さまは病の苦しみ(病苦)と、どのように向き合われたのでしょうか。お釈迦さまは、四苦(生老病死(しょうろうびょうし)の苦)の解決のために出家をされ、四苦を解決されました。

 それを聞いた一人の弟子が、「お釈迦さまは病気にならないのですか?」と尋ねたそうです。すると、お釈迦さまは、「第一の矢は受けるけれど、第二の矢は受けない」と答えたといわれています。

 第一の矢、つまり、病気そのものの苦しみ(肉体的な苦しみ)は受ける。しかし、第二の矢、つまり、病気から生まれてくるさまざまな不安や苦しみ(精神的な苦しみ)は受けない、というのです。

 私たちは、病気になる前には、「病気になったらどうしよう」と不安に思い、病気になったらなったで、「なぜ私が病気にならなければならなかったんだろう」とか「病気になってしまって、私の人生はどうなるんだろう」などと悩みます。お釈迦さまには、そういった悩みや苦しみはない、というのです。

決して見捨てない

 今回の新型コロナウイルス感染症が終息したとしても、病気がなくなることはありません。また、新たな感染症が流行することもあるでしょう。

 第一の矢に対しては、医療関係の方々が頑張ってくださっており、感謝しかありません。私たちは予防など、できる限りのことをするしかないでしょう。

 第二の矢に対しては、それをつくり出しているのは、私たちの心(煩悩)だということを、お釈迦さまは教えてくださっています。また、第二の矢は、自分が苦しむだけでなく、差別や偏見を生み出し、他人も苦しめてしまっているということに、気づかねばなりません。

 私たちもお釈迦さまのように、煩悩を滅(めっ)し、第二の矢を受けないようになれればいいのですが、難しいと言わねばなりません(私には無理です)。身近に危機が迫ってきた時、「どんなふうになるのか全然わからない」のが私たちなのです。

 親鸞聖人は、「しかるべき縁があれば、どのような行いもするものである(さるべき業縁(ごうえん)のもよほさば、いかなるふるまひもすべし)」(註釈版聖典844ページ)と、おっしゃっています(『歎異抄』第13条)。

 私たちは、そうせざるを得ない縁に会えば(条件がそろえば)、どのようなこともしてしまう、危うい存在なのです。

 また、大神信章氏(光林寺前住職)は、「何がおきるか分からないこの人生を 何をしでかすか分からないこの私が 生きている」(『学仏大悲心』)という言葉を残されています。

 私の思い通りにならないこの人生を、私の思い通りにならないこの私が、生きているのです。

 み教えを聞けば聞くほど、危うい私に気づかされます。危うい私に気づかされれば気づかされるほど、ますます、み教えを聞かなければならないという思いが湧(わ)いてきます。

 私を心配し、「決して見捨てない」とはたらき続けてくださっている阿弥陀さま。そのはたらきの中で、常に私の在り方を問い続けていく。そんな人生を送らせていただきたいと思っています。

(本願寺新報 2021年06月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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