読むお坊さんのお話

「もうその時はお浄土さま」 -がん再発の病室で心細かった私に響いた言葉-

藤井 一真(ふじい いっしん)

布教使 広島県呉市・光行寺住職

井上のばあちゃん

  なごりをしくおもへども、娑婆(しゃば)の縁(えん)尽(つ)きて、ちからなくしてをはるときに、かの土(ど)へはまゐるべきなり。
   『歎異抄』第九条(註釈版聖典837ページ)

 私は父が早く往生したこともあり、30年前から広島県呉市の小さなお寺で住職を務めさせていただいております。

 ご門徒さんに〝井上のばあちゃん〟と呼ばれていたおばあちゃんがおられました。私が大学を卒業した頃は、まだお元気でおられました。

 井上のばあちゃんは、私が物心ついた頃からおばあちゃんでした。私が幼い時から小学生、いやいや、成人しても「ぼっちゃん、ぼっちゃん」と私のことを呼び続けていました。ご法座では常にご講師の演台のすぐ前に座って、「ハハーッ」「ハハーッ」と声を上げながらお聴聞をされる尊い方でした。

 そのばあちゃんが、どのような経緯から有り難いお同行(どうぎょう)になられたのかというと、夫である井上静一同行の言葉でした。井上のおじいちゃんは、ばあちゃんを嫁に迎えた時、一つだけお願いをしました。

 「ショウさん、因縁があって井上家へ嫁(とつ)いでこられたからには、一つだけ約束してもらいたいことがある。お寺にお参りしてください。そのために家事や仕事が遅くなっても、何かがおろそかになってもかまいません。それだけはお願いします」

 けれども、それはばあちゃんにとって苦痛ではありませんでした。お念仏とともに「ありがたい」「もったいない」「ようこそ、ようこそ」が口癖となり、楽しんで欠かさずお寺参りをされたのでした。

 そのばあちゃんも、私が27歳で広島のお寺に戻った時、もう寝たきりになっておられました。月(つき)参りにうかがっても、もうお仏壇の前には出てこられなくなっていました。

 私は帰る前、必ずばあちゃんの枕元に寄ってから帰るのですが、その時必ず「ぼっちゃん、なかなか往(ゆ)けませんわ。コトッといったら、もうその時はお浄土さまなのに!」と、愚痴(ぐち)とも言えない言葉を、私に何度も投げかけてきました。最後は認知症になられましたが、この言葉だけは忘れず繰り返しておられました。

 私は、この人は間違いなく心の底から言われているな、と感じざるを得ませんでした。そして「なごりをしくおもへども」と言われた親鸞聖人のお言葉は、このばあちゃんには関係ないなと思っていました。

 でも、この「なごりをしくおもへども」という言葉、これは私のためにありました。

父の最期の笑顔も

 私は今回、悪性リンパ腫(しゅ)の再発で広島の大学病院に長期入院しました。濾胞(ろほう)性リンパ腫の形質転換といって、とても治るとは思えない状態で入院し、骨髄移植を受けました。主治医の教授をはじめ、ドクターの先生方、看護師の皆さん方にとても優しく接していただきました。苦しい長期の入院でしたが、信頼できるスタッフのお陰(かげ)で、治療のことは全てお任(まか)せできました。

 恥ずかしながら、そうした状況の中で、頭に浮かんだのはお浄土の姿ではありません。娑婆(しゃば)のことばかり考えていました。

 「どうやって後のことを整理しとこうか?」「あと何カ月生きられるだろうか?」「生きて帰れるのだろうか?」

 心細い思いばかりでした。

 そんな時にふと思い浮かんだのが、井上のばあちゃんの姿でした。そして父の姿でした。父は今から30年前に往生しました。父は25年間住職を務め、ご門徒さんとともにお念仏を喜んでいました。父は最期(さいご)、ニコッと笑い息を引き取りました。そうした姿を思い出すと、不思議な安らぎの気持ちをいただきました。

 「最後までこんなんだろうな」という不安な思いばかりでしたが、その心の奥底で「でも何があっても大丈夫」という力強い言葉が脳裏(のうり)に浮かんできました。なぜなら「ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり」と示してくださった親鸞聖人のお導きがあったからです。

 私は京都で約10年間、仏教の勉強をし、今まで阿弥陀さまの教えを聞かせていただいてきましたが、大病を患(わずら)って初めて聖人のこのお言葉が実感として味わえました。追い込まれて初めて気がつかされたのです。

 井上のばあちゃんの声が今も響いています。

 「ぼっちゃん、コトッといったら、もうその時はお浄土さまですよ」

(本願寺新報 2021年06月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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