読むお坊さんのお話

仏さまの視点 -「"いのち"を救うには"いのち"でしかない!」-

山下 瑞円(やました ずいえん)

布教使 岡山県高梁市・淨福寺副住職

生かされている私

 世界中を震撼(しんかん)させている新型コロナウイルス。そんな中、海外においてワクチンが開発され、日本でも接種が始まっています。期待と不安が混在している状況下ではありますが、私はこのコロナ禍をわが身を振り返る機縁として捉えています。

 私には創薬研究者である友人がいます。彼は薬学の研究に携わり始めた頃、〝薬〟の背後には〝いのち〟が存在することを知りました。それ以来、彼は自らが薬を服用する時、食前の薬は「いただきます」をしてから飲み、食後の薬は飲んだ後に「ごちそうさま」をしてきたと言います。彼から初めてこの話を聞いた時は、素直に理解することができませんでした。

 現代にはさまざまな〝薬〟があります。ワクチンも病気の予防に用いる薬の一種です。ところが、そうした薬は基礎研究の段階で微生物や動物など、私たちが知ることもない何千何万ものいのちの犠牲があって生まれるのだそうです。薬の無機質な外見からは想像もできません。そして、この犠牲には理由があるそうです。

 それは、人間が服薬しても安全か、服薬して効果が見込めるのかを判断する科学的根拠(エビデンス)を示す必要があるからです。つまり、この犠牲なくして新薬が生まれることは決してありません。そして彼はこう言いました。

 「結局な、いのちを救うには、いのちでしかないんや!」

 「いのちを救う」のいのちは私たちのいのちを指します。「いのちでしかない」のいのちは私たちの知り得ない、実感することのない犠牲となった何千、何万ものいのちです。たとえ私たちが知らなくとも、私たち一人ひとりのいのちは、たくさんのいのちの犠牲で成り立つ、生かされているいのちでした。

小さな虫のいのちも

 実は、彼との出あいは龍谷大学です。ともに真宗学を専攻し、親鸞聖人のみ教えを学びました。その後、彼は薬学の道を志し、龍谷大学を卒業後に他の大学・大学院で学び、現在はがんの創薬研究者として大手製薬会社に勤務しています。そんな彼が教えてくれた大切な言葉ですが、研究者だからといって出てくる言葉ではないように思います。そこで私は、彼の謙虚な研究姿勢は仏法(仏さまの教え)との出遇(あ)いに起因するものと味わいます。

 仏法は人間中心の教えではありません。仏さまの視点は、すべての生きとし生けるもののいのちを平等に、かけがえのない大切ないのちとして見られます。ですから、仏教ではいのちを奪うことは罪です。しかしながら、そのいのちを奪わずにおれない、犠牲なくして生きていくことのできない存在が私です。

 この私のありさまを見抜き、知り抜かれ、仏さまとなられた方が阿弥陀さま(南無阿弥陀仏)です。

 親鸞聖人が〝真実の教(きょう)〟と仰(あお)がれた『仏説無量寿経』の異訳である『大阿弥陀経』には、「諸天(しょてん)・人民(にんみん)、蜎飛蠕動(けんぴねんどう)の類(たぐい)」(註釈版聖典143ページ)に至るまで救うとあります。

 「蜎飛」とは、空中を飛び回る小さな虫のことであり、「蠕動」とは地面を這(は)い回っている小さな虫のことです。つまり阿弥陀さまは、十方(じっぽう)世界の生きとし生けるものすべてに目を向け、私たち一人ひとりを救いの目当てとされます。その阿弥陀さまの救いのお心・仏法がこの私に届いているということは、どんな行いをしてもいいではないかという自分中心の傲慢(ごうまん)な生き方ではなく、逆に、申し訳ない、お恥ずかしいという生き方に転ぜられます。

 創薬研究者の友人は、薬学を学ぶ前に龍谷大学で仏法を学びました。仏法を学ぶと、物事を見る視点が変わっていきます。彼の研究者としての腹の据(す)わりには、仏法を通していのちを見ていくという姿勢が感じられます。仏法に出遇った時、いのちの犠牲は仕方ない、当たり前という視点から、もったいない、有り難い、そして無駄にしないという視点に転換されていくことを、彼の言葉を思い返すたびに実感しています。

 現在よりも文明が未発達の時代に〝仏法を人生の依りどころ〟とされ、頻発した疫病(えきびょう)や天変地異の現実と向き合い、わが身を振り返りながら90年のご生涯を歩まれた方が親鸞聖人です。

 厳しいコロナ禍での日暮らし。あえて、どこまでも自分中心のわが身を振り返る機縁とさせていただきます。

(本願寺新報 2021年06月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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