香りが染みこむように -お念仏よろこぶ生きざまが人々を導き育てる-
赤井 智顕
本願寺派総合研究所研究員 兵庫県西宮市・善教寺副住職

今日もおかげさま
「義母(はは)が亡くなってしばらくたちましたが、不思議とあまり寂しくないんです。お浄土の仏さまとなって、いまも一緒にいてくれているからなんでしょうね」
数年前のことです。お葬式が終わってしばらくたったご命日のお参りの時、こう話してくださった方がおられました。
亡くなられたのは98歳のご門徒のおばあちゃん。お寺で法座がつとまる時には、息子さんやその奥さんを誘われてお参りされ、一緒にお聴聞しておられた方でした。仏教婦人会やコーラスでも活躍され、長年お寺の活動を支えてくださり、私自身も小さい時からかわいがっていただいた思い出深い方でした。
そんなおばあちゃんも今生(こんじょう)の縁が尽きて、阿弥陀さまのお浄土へと往生していかれたのです。
長い間、おばあちゃんと一緒に生活され、ともにお寺参りをしてくださっていた奥さんからお聞きしたのが、冒頭のお言葉でした。そして、在(あ)りし日のおばあちゃんのお話をお聞きしたのです。
おばあちゃんの日課は決まっていました。毎朝、目を覚ますと身支度を整えて、お仏壇の前に座られます。「阿弥陀さま、おはようございます」とご挨拶をされ、朝のおつとめをされます。その後は庭のお手入れや、ひ孫さんと時間を過ごされたり、病院へ通院したりされていたのが、晩年の生活だったそうです。そして夕刻になると、またお仏壇の前に座られます。「阿弥陀さま、今日もおかげさまの1日でした。有り難うございました」とご挨拶をされ、おつとめされるのでした。
「〝おかげさまの1日でした〟が義母の口癖でした。これまでいろいろなことがありましたが、私の脳裏(のうり)に残っている義母の姿は、お仏壇の前に座って頭を下げてお念仏を称(とな)えている姿です。そんな義母の姿を毎日、毎日、見てきました。仏(ぶつ)とも法(ほう)とも知らなかった私が、縁あって主人と結婚して、いまこうして不思議にも浄土真宗の教えに遇(あ)わせていただいているのは、義母のお念仏の声の導きがあったからでした」
そうしみじみと語ってくださるお話を聞きながら、お二人にしかわからない深いつながりを感じるとともに、わが身にお念仏をいただくという不思議をあらためて感じたことでした。
浄土を真実と仰ぐ
染香人(ぜんこうにん)のその身(み)には
香気(こうけ)あるがごとくなり
これをすなはちなづけてぞ
香光荘厳(こうこうしょうごん)とまうすなる
(註釈版聖典577ページ)
と、親鸞聖人は『浄土和讃』にうたわれています。
芳(かんば)しい香りのはたらきによって、さまざまなものへ香りが染みこんでいくように、阿弥陀さまのはたらきは、「南無(なも)(まかせよ)阿弥陀仏(あみだぶつ)(われに)」のよび声となって、あらゆる衆生(しゅじょう)のもとへといたり届き、仏法を聞くことも、お念仏を称えることもなかった者を、お念仏の衆生へと育んでくださいます。さとりの世界であるお浄土を、真実と仰(あお)ぎながら生きる人生を歩ませてくださるのです。
そして「南無阿弥陀仏」のはたらきの染みこんだ「染香人」とよばれる方は、そのお姿や生きざまを通してお念仏の香りを放たれ、また有縁の方々にお念仏のご縁を結んでくださるのでしょう。
おばあちゃんのお話をひとしきり聞かせていただいた帰り際、「これを見てもらえませんか」と声をかけられました。
差し出されたのは、おばあちゃんが何十年と使われていたお経本(きょうぼん)でした。表紙も裏表紙も手あかで変色してすり切れ、傷んで破れたところにはセロハンテープで補強された跡がいたるところに残っていました。そのお経本を見つめながら、奥さんがおっしゃいました。
「義母のお念仏の香りが染みこんだお経本です。ボロボロで汚れたものかもしれませんが、私にとっては義母が遺してくれた大切な宝物です」
思えば、いまこうして私が「南無阿弥陀仏」のご縁をいただいているその背景には、阿弥陀さまのはたらきや、多くの方々の導きがあったからでした。
お念仏の人生を歩まれ、お浄土の仏さまと成られた方は「南無阿弥陀仏」のみ名と一つとなって、私のもとへ還(かえ)ってきてくださっています。悲しい別れの中にあってなお、確かにつながっている世界があるのです。
お念仏の香りの染みこんだおばあちゃんのお経本が、そのことを教えてくれていました。
(本願寺新報 2021年08月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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