読むお坊さんのお話

一番遠くて 一番近いもの -十万億仏土の距離は、私に注がれる慈悲の大きさ-

浅野 執持(あさの しゅうじ)

広島仏教学院講師 愛媛県今治市・万福寺衆徒

彼の岸にいたる

 お彼岸の頃、太陽は真西に沈みます。彼岸とはアミダさまの世界、西方極楽浄土の別称でもあります。

 「彼岸」の原語であるインドの言葉「パーラミター」は、本来「最高であること」という意味だったそうです。それが中国に伝わる際に、「修行し、さとりにいたる」という意味合いで「到彼岸(とうひがん)」(彼(か)の岸(きし)に到(いた)る)と訳されます。後に「到」の字が略され「お彼岸」と親しまれるようになりました。

 「彼(かれ)」という字を辞典で調べると、「遠称(えんしょう)」とあります。遠称とは「離れた人・場所などを指し示す」言葉のこと。さらに「彼」は、単に距離の隔たりを示すだけでなく、距離をもって敬いを表す「敬称」としてのニュアンスも含むそうです。

  『阿弥陀経』には「彼」という文字が、17回も登場します。「彼(か)の仏」「彼(か)の国」とあります。お釈迦さまが「かの」「かの」「かの」と、重ねてアミダさまとその世界について示されているのは、遠い世界についてお説きくださるというだけでなく、「この上なくすぐれた仏さま、その世界があなたのためにあるのです」とたたえ、示してくださっていると味わえます。

 さて、「遠ければ遠いほど近いもの」は何でしょう。

 『阿弥陀経』には浄土までの距離が、西に「十万億仏土(ぶつど)」と示されています。はてしない距離をもって示されているのは、アミダさまのはたらきの尊さと大きさです。そしてその大きさは、私の抱えている煩悩(ぼんのう)の大きさ、悲しみや苦しみの深さとぴったりと合わさります。

 私は今、浄土から最も遠くにありながら、同時に浄土のはたらきのまん中にあるのです。

 広島の真宗学寮初代学頭であられた髙松悟峰(ごほう)和上(わじょう)が、ある法要に出向された際のことです。ご法話をされているとき、「この中に一人、地獄ゆきが決まっている者がいる」とおっしゃられ、休憩に入られたそうです。聞いていた人たちはざわつきます。そして休憩後、「この中に一人、浄土ゆきが決まっている者がいる」と語られたのです。
 その「一人」とは、ともに私のこと。地獄ゆきの私が上書きされて浄土ゆきの私になるのではない。そのままの救いが示されたエピソードだと思います。

本当の平等とは

 「遠ければ遠いほど近いもの」は何かと、小学2年生の長女にたずねてみました。

 少し考えてから「帰り道」と答えてくれました。

 「どんなに遠くに行っても、帰り道は家までつながっているから」ということでした。わが子の答えながら、味わい深く思われました。

 浄土は終着点ではありません。彼の国に往(ゆ)き生まれたものはさとりのいのちとなり、この悲しみ、苦しみ多き世界にかえってくるのです。そう聞かせていただくと、彼の国が親しみ深く思えます。

 10年ほど前、児童心理の授業を聴講した時のことです。先生は授業の中で「親は子に対し平等でしょうか」と受講者に質問されました。

 例にだされたのは、3人兄弟のケースでした。

 「1番目の子と接する時間を100パーセントとすれば、2番目の子は60パーセントまで減ります。では、3番目の子の場合はどうでしょうか?」

 私は「40パーセントぐらいか...」と推測しました。ところが先生は「3番目の子へは100パーセントに戻ります」とおっしゃったのです。衝撃的でした。私は3人兄弟の2番目なのです。

 親鸞聖人が『涅槃経(ねはんぎょう)』から引用されているお言葉の中に、「七子(しちし)のたとえ」があります。仏さまの慈悲を、親心にたとえたお話です。

 七人の子がいて、その中の一人が重い病になれば、親の思いは一人子(ひとりご)のように、重い病の子にすべて注がれます。一般には「同じだけ与えられること」が平等と考えます。そうではなく「アミダさまの大慈悲が本当の意味で平等なのは、重い病の一人子(ひとりご)を救わんとするところにこそある。この重き病の子とは私のことなのだ」と親鸞聖人はいただかれたのです。

 「彼の仏」「彼の国」のはたらきは、最も救われがたき私のためにあるのだといただくとき、十万億仏土の距離は隔たりでなく、私に注がれる慈悲の大きさと仰(あお)がれます。「わが仏(ほとけ)」さま、アミダさまは無限のはたらきとともに「ナモアミダブツ」と、いつも私にいたり届いてくださっているのです。

(本願寺新報 2021年09月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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