読むお坊さんのお話

正信偈を読むたびに -亡き人が私に今も教え続けてくれる-

田中 真英(たなか しんえい)

本願寺派総合研究所上級研究員 滋賀県米原市・善楽寺住職

"おばあちゃん"

 小さな頃の思い出です。

 私のお寺には、2人のおばあちゃんがいました。両親は住職と坊守をしながら学校の教員をしていたので、いつも帰りが遅かったように思います。小学校から帰ると迎えてくれたのは、おばあちゃん2人でした。

 留守がちな両親に代わって、幼い頃の私は、この2人に育てられたといっても過言ではありません。どちらも大切なおばあちゃんでした。何で2人かといいますと、ひとりのおばあちゃんは、父の母です。つまりは私の実の祖母です。そして、もうひとりのおばあちゃんは、お寺に住み込んでお手伝いをしてくれていたおばあちゃんです。

 お手伝いのおばあちゃんがお寺にやってきたのは、父が生まれる前と聞いているので、父の兄弟5人と私や姉、弟を含めて8人もの子どもたちを育ててくださった方だったのです。

 そんな事情がまったくわからなかった幼い頃の私にとっては、どちらも「私のおばあちゃん」であり、「おばあちゃんが2人いるのが当たり前」でした。

 祖母も、お手伝いのおばあちゃんも、私をとてもかわいがってくれました。お手伝いのおばあちゃんは、孫に話すように、いつも私に昔話をしてくれたり、おばあちゃんが使っているお布団で昼寝をさせてくれたことを思い出します。

 しかし、私が小学校の高学年になった頃、お手伝いのおばあちゃんが、庫裏(くり)の階段から転落して骨折するという出来事が起きました。それがキッカケとなり、おばあちゃんは親戚のおうちに引き取られることになりました。そのお別れがとても寂しかったことを今でも覚えています。

 私も中学、高校と学校生活が忙しくなり、それからは会うことがなくなりました。

 大学生になった昭和の最後の頃でした。老人ホームに移られたということを、知り合いの方から教えていただきました。祖母や弟を連れて老人ホームに会いにいきました。

 久しぶりにお目にかかったおばあちゃん。もう100歳近くになっておられたのですが、お元気そうで、そして変わらないやさしいお顔に、懐かしさと安堵(あんど)感を抱きました。

 おばあちゃんは、平成9年の誕生日に110歳でご往生されたのですが、その当時、〝関西一〟と言われたご長寿さんになられました。

2回の「天親菩薩」

 そんなおばあちゃん、晩年には正信偈の拝読をめぐって、とても苦悩されていたということを、おばあちゃんの知り合いの方が教えてくれました。それはこんな話です。

 「私は、朝な夕なに正信偈を部屋でおつとめしてますが、どうしても最後まで読むことができないのです」と、おばあちゃんが嘆いておられたそうです。

 そこで、その方が「どうして最後まで読めないのだろうか?」と、おばあちゃんと一緒に正信偈をおつとめされたそうです。すると、その原因がわかりました。

 おばあちゃんは、正信偈をそらんじておつとめされるのですが、「天親菩薩論註解(てんじんぼさつろんちゅうげ)」のところにくると、「天親菩薩造論説(てんじんぼさつぞうろんせつ)」と読まれていたのです。

 正信偈の中には「天親菩薩」が2回出てきます。最初に出てくるのが「造論説」のところです。ですから、2回目の「論註解」を間違えて「造論説」と読んでしまうと、「天親菩薩造論説」からの17句を際限なく読んでしまうことになります。その原因をおばあちゃんに伝えて、ようやく最後まで読むことができるようになって喜ばれたということです。

 おばあちゃんが亡くなってから20年以上が経ちました。住職となった今でも、正信偈の「天親菩薩」に差しかかるたびに、おばあちゃんのことを思い出します。

  釈迦(しゃか)の教法(きょうぼう)おほけれど
  天親菩薩(てんじんぼさつ)はねんごろに
  煩悩成就(ぼんのうじょうじゅ)のわれらには
  弥陀(みだ)の弘誓(ぐぜい)をすすめしむ
     (註釈版聖典580ページ)

 親鸞聖人の書かれた『高僧和讃(わさん)』の一首です。お釈迦さまの説かれた八万四(し)千ともいわれる無数のみ教え(法)の中から、煩悩に苦悩する私たちのために、天親菩薩は阿弥陀さまの本願他力の教えを懇(ねんご)ろにお勧(すす)めくださったと、聖人は讃(たた)えられています。

 何度も何度も「天親菩薩」を繰り返されたおばあちゃん。その姿を思うたびに、聖人の和讃にあるように、天親菩薩が阿弥陀さまの教えを勧めてくださったと、おばあちゃんが今も私に教え続けていてくださるようです。

(本願寺新報 2021年10月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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