読むお坊さんのお話

一人でも一人じゃない -お念仏となって一緒にいてくださる阿弥陀さま-

南條 了瑛(なんじょう りょうえい)

布教使 東京都中央区・法重寺住職

さびしいとき

 日常で感じる不安について考えた時、お釈迦さまからの厳しいお言葉が浮かびます。

 それは「独生独死(どくしょうどくし)」というお示しです。私は独(ひと)りで生まれ独りで死んでいく、という意味です。私の抱える不安や生きづらさは、誰にも代わることができず、自分ひとりで背負って生きていかねばならない、ということです。非常に厳しいお諭(さと)しです。

 ある男性のご門徒が「私はもう、70年以上この人生を歩んできました。これまで楽しいこともあれば、つらいこと、さびしいこともたくさん経験してきました。だけど、私の不安を全部わかってくれる人は、この世に一人としていないかもしれないですね。家族でさえ、私の気持ちを全部わかってくれるか? と言われたら、ちょっとそうとは言えないかもしれませんね」と、おっしゃっていました。

 まさに私の抱える苦悩は誰も代わることができず、自分ひとりで背負っていかねばならないことを感じさせます。

 しかし、だからといって、私の人生は孤独に過ぎていくだけの人生なのでしょうか。

 童謡詩人・金子みすゞさんに「さびしいとき」という詩があります。

 私がさびしいときに
 よその人は知らないの
 私がさびしいときに
 お友だちは笑うの
 私がさびしいときに
 お母さんはやさしいの
 私がさびしいときに
 仏さまはさびしいの

 私はこの詩を小学校の時に初めて読みました。当時、この詩の最後の部分の意味がよくわかりませんでした。私がさびしいときに、仏さまが一緒になってさびしくなってくださる...。これはどういうことなのだろうか。そんなふうに感じていました。

 ある日、次のようなご法話を聞かせていただきました。

 「私は、独り生まれ独り死んでいく。そう考えると、お互い孤独でひとりぼっちですね。けどね、本当にひとりぼっちか? と言われたら、実はそうではないのです。あなたの誰にもわからない胸の内を、たったお一方(ひとかた)だけがご存じでいらっしゃいます。それが、阿弥陀如来という仏さまです。『なんまんだぶ、なんまんだぶ』とお念仏を称(とな)えてごらんなさい。そこに阿弥陀さまがご一緒ですよ。あなたは決してひとりじゃないのです」

 このご法話を聞いて、私の人生は「ひとりだけど、ひとりじゃない」と思えるようになりました。

 私のことをはるか昔からわかってくださり、決してお見捨てにならない仏さまが、いまここに、お念仏となってご一緒してくださっています。

 「私がさびしいときに 仏さまはさびしいの」という表現は、私を誰よりもご存じの阿弥陀さまのお心が表されているのかな...。そう思えるようになりました。

「も」ではなく「は」

 ご法話を聞いていると、金子みすゞさんの詩が頻繁(ひんぱん)に出てくることに驚きます。この「さびしいとき」という詩の味わいも多様です。その中で、興味深い味わいをお聞きしました。

 「この詩は『仏さまも』ではなく、『仏さまは』となっています。これはきっと、自分では気づかないほどの深い苦悩を阿弥陀さまがご存じだからこそ、『仏さまは』と表現されているのではないでしょうか」

 ここで言う「自分では気づかないほどの深い苦悩」とはなんでしょうか。

 私は、お釈迦さまがお説きくださった「生老病死(しょうろうびょうし)」、そして親鸞聖人の「生死(しょうじ)出(い)づべき道」が思い浮かびました。生まれては死に、生まれては死に、迷いの世界を経(へ)めぐってきた私のいのち。この迷いのいのちを阿弥陀さまが心配され、さとりに転じさせようと引き受けてくださっています。

 自分がそのような深いレベルまで本気で考えているかと言われると、恥ずかしながら自信がありません。そういう性分(しょうぶん)を抱える私だからこそ、阿弥陀さまがいてくださるのです。

 この味わいは、私にとって印象的なご教示でした。阿弥陀さまは、私の不安をご存じなだけでなく、私の考えが及ばない深いレベルの苦悩まで心配され、仏さまはさびしくなってくださっているのです。

 金子みすゞさんの詩を通して、阿弥陀さまのお慈悲のお心の深さを、あらためて感じさせていただきます。

(本願寺新報 2021年11月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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