読むお坊さんのお話

信心に導かれる人生 -仏さまのはたらきにお育ていただきながら生きる-

小池 秀章(こいけ ひであき)

龍谷大学非常勤講師 仏教婦人会総連盟

三者を比較すると

 昔、ある先生から「信心が私の人生をリードしてくださる」という言葉を聞かせていただき、今でも強く心に残っています。

 信心をいただいた人の人生は、信心によってコントロールされているのです。

 それに対して、信心をいただいていない人の人生は、煩悩(ぼんのう)によってコントロールされているのです。

 そして、さとりを開いた人(聖者(しょうじゃ))の人生は、智慧(ちえ)(真実をありのままに見る力)によってコントロールされているのです。

 この三者を比較することによって、信心に導かれる人生とは、どのような人生かを味わってみたいと思います。

 お釈迦さまは王子として生まれ、恵まれた生活をしていました。しかし、どんなに恵まれた生活をしていても、老い・病(や)み・死んでいかなければなりません。そのことに悩み、出家をされました。そして、さとりを開き、真実をありのままに見る智慧を体得し、老・病・死の苦しみを解決されたのでした。

 お釈迦さまが病(やまい)の苦しみ(病苦(びょうく))を解決されたと聞いた一人の弟子が、「お釈迦さまは病気にならないのですか?」と聞いたそうです。

 すると、お釈迦さまは、「第一の矢は受けるけれど、第二の矢は受けない」と答えられたそうです。

 お釈迦さまも人間ですから、病気になると肉体的な苦しみ(第一の矢)は受けます。しかし、「なぜ私がこんな病気にならなければならなかったんだろうか」「こんな病気になってしまって、私の人生はどうなるのだろう」というような病気に伴って生まれる多くの精神的な苦しみ(第二の矢)は受けないというのです。

 このような人を仏教では聖者と呼びます。聖者は、智慧がその人の人生をコントロールしているのです。

煩悩の身のままで

 「輝け! お寺の掲示板大賞2020」の中に、「コロナよりも怖いのは人間だった(神奈川県ドラッグストア店員)」という言葉がありました。

 マスクが品切れになった時、お客さんが新型コロナにかかったらどうしようという不安から、そのイライラを店員さんにぶっつけたのです。まさに、第二の矢を受けた状態です。

 私たちは新型コロナそのものの苦しみ(第一の矢)よりも、むしろ、新型コロナにかかる不安からマスクをむさぼり求め(貪欲(とんよく))、マスクが買えないイライラから他人に怒りをぶつける(瞋恚(しんに))、そんな心から生まれる苦しみ(第二の矢)に、苦しめられているのではないでしょうか。

 この貪欲(とんよく)(むさぼりの心)や瞋恚(しんに)(怒りの心)のように、私たちの心身を煩(わずら)わし悩ます心のはたらきを煩悩といいます。そして、このような煩悩に振り回されている人を凡夫(ぼんぶ)といいます。

 「吾輩(わがはい)は凡夫(ひと)である 自覚はまだない」という掲示板の言葉もありました。「吾輩は猫である。名前はまだない」をアレンジしたものですが、凡夫(ぼんぶ)でありながら、凡夫であることが見えていない。煩悩に振り回されていながら、煩悩に振り回されているということにさえ気がついていないのです。

 このような凡夫を、み教えに出遇(あ)えていない凡夫、もしくはみ教えを受け入れていない凡夫ということで、未信(みしん)の凡夫(信心をいただいていない人)と言っていいでしょう。この未信の凡夫は、煩悩がその人の人生をコントロールしているのです。

 仏さまのみ教えに出遇い、その教えを受け入れる(信心をいただく)ことによって、煩悩に振り回されていた自分に気づかされるのです。つまり、信心をいただいた人は、信心がその人の人生をコントロールしてくださるのです。

 浄土真宗の信心とは、私の信じる心ではなく、仏さまのはたらきを疑いなく受け入れた状態、もう少しわかりやすく言えば、仏さまのお言葉をまことと受け入れた状態のことを言います。仏さまのお言葉をまことと受け入れたわけですから、そのお言葉が私を正しい方向へと導いてくださるのです。

 信心をいただいたからといって、煩悩がなくなるわけではありません。煩悩だらけのこの身のままで、仏さまのはたらきにお育ていただきながら生きるのです。それが信心に導かれる人生であり、そこに、私の生きる道があるのです。

(本願寺新報 2021年12月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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