立ち上がっていく力 -大きな願いに遇うことが前を向く力となる-
高田 文英
龍谷大学教授 福井県鯖江市・西照寺衆徒

ある少年の話
一昨年の真宗教団連合「法語カレンダー」の8月には、「念仏もうすところに 立ち上がっていく力が あたえられる」という、京都府立大学で教育学を教えておられた西元宗助先生の言葉が載っていました。
なぜお念仏を申したら、「立ち上がっていく力」があたえられるのでしょうか?
以前読んだ本に、一人の少年の話が紹介されていました。その話は戦前の話ですが、とても印象深いものでした。次のような話です。
その少年は両親の愛情いっぱいに育てられ、特に母の溺愛(できあい)ぶりは近所の物笑いの種になるほどでした。しかし、母は結核を患い、庭の粗末な離れに籠(こ)もります。
近寄るなと注意されても、少年は母恋しさに離れに近寄りますが、離れの母は一変していました。母は少年を見ると、ありったけの罵声(ばせい)を浴びせ、手当たり次第にものを投げつけます。その姿は鬼のようでした。
少年は次第に母を憎悪(ぞうお)するようになりました。そして、少年六歳の誕生日に母親が亡くなります。「お母さんにお花を」と勧める家政婦のおばさんに、少年は全身で逆らい、決して棺(ひつぎ)の中を見ようとはしませんでした。
その後、父が再婚し、少年は新しい母に愛されようとしますが、だめでした。父と義母の間には子どもが生まれ、そして少年九歳の時に父も結核で亡くなります。
その頃から少年は家出を繰り返し、義母は父が残したものを処分して蒸発、少年は施設を転々とするようになりました。
十三歳の時、少年は少年院にいました。もういっぱしのワルでした。しかし、そんな少年にある日、面会者が現れます。泣いて少年に棺の中を見せようとした家政婦のおばさんでした。おばさんはなぜ母親が鬼になったのかを話しました。母は死の床でおばさんに言ったのです。
「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。幼い子が母と別れて悲しむのは、優しくされた記憶があるからです。憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。あの子が新しいお母さんにかわいがってもらうためには、死んだ母親なんか憎ませておいたほうがいいのです。そのほうがあの子は幸せになれるのです」
少年は話を聞いて呆然(ぼうぜん)としました。「自分はこんなにも愛されていたのか」。涙が止めどなくこぼれ落ちます。少年が立ち直ったのはそれからでした。
願いを知る
これは、戦争孤児と平和をテーマに数々の作品を著され、平成28年に91歳で亡くなられた作家・西村滋さんの少年期の話だそうです。
西村少年の抱えていた孤独は、察するに余りあります。
「どうせ自分なんかに誰も興味はない」
「自分の人生なんてどうなったってかまわない」
そんな深い孤独の中、自暴自棄(じぼうじき)になっていた少年を立ち直らせたもの、それはわが子の幸せを願う母の愛でした。
「自分のことはどう思われてもいい。この子だけはどうか幸せになってほしい」
少年は、そんな自分にかけられていた母の本当の願いを知ることで、それまでどうでもいいとしか思えなかった自分の人生が、大切なものとして見えてきたのでしょう。
もちろん、それからの西村少年の人生も、決して順風満帆(まんぱん)なものではなかったはずです。「やっぱり自分なんかだめだ」と思うことも何度もあったのではないでしょうか。しかし、そのたびに、家政婦のおばさんが教えてくれた母の願いが、西村少年を支えてくれたのでしょう。
この話は、自分という存在が丸ごと愛され大切にされている、そういう経験や安心が心の奥にあることが、思うようにならない人生を受けとめ、価値あるものとして生きるためにいかに大きな力となるかを教えてくれています。
「念仏もうすところに 立ち上がっていく力が あたえられる」
お念仏は私たちにかけられた阿弥陀如来の願いの結晶です。「どんな時もあなたを決して捨てはしませんよ」という大きな慈悲の願い。その大きな願いに遇(あ)わせてもらうことが、 小さな自分の殻(から)を知らされつつ、しかも前を向いていく力となるのです。
「念仏もうす」ことの素晴らしさ、尊さを、あらためて喜ばせていただきましょう。
(本願寺新報 2022年02月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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