春霞の向こうから -煩悩の闇を貫いて常に照らし護ってくださる-
末本 弘然
本願寺新報元記者 大阪府池田市・正福寺前住職

希望持てない現状
厳しい寒さと例年にない大雪に見舞われた地域も多かった今年の冬でしたが、日に日に陽射(ひざ)しが明るくなり、春の気配が感じられるようになりました。
この季節になると春霞(はるがすみ)が発生しやすくなります。空気がよどんで遠くが見えにくくなる現象です。昔なら暖かさに身心もゆるんで気持ちよくなりましたが、昨今では、そんな自然の営みにのんびりと浸る余裕はないようです。先の見通しがきかず、不安と疑心暗鬼(ぎしんあんき)が漂う不透明な状況が続いているからです。
何より、新型コロナの感染症はいまだに終息のメドが立ちませんし、世界の至るところで対立が深まり、一触即発の状況に置かれている地域も少なくありません。
とりわけ深刻なのはウクライナ情勢です。ロシアが軍事侵攻する懸念(けねん)が高まり、欧米諸国が警戒を強めているわけですが、もし戦争になれば、世界中を巻き込んで大混乱に陥(おちい)る恐れがあります。
人類の平和を願う心がある一方で、自国の利益や尊厳、生活、信仰を護るために戦わねばならないと思う心もあるのです。悲しいかな、人類の歴史に戦争がなかった時代はないと言ってもいいでしょう。
ウクライナ国内では、市民に小銃の撃ち方を教えて戦闘に備えている様子がテレビで報道されていました。銃を持った80歳の女性がインタビューに応えて、「子や孫たちを守るために、できることをやるだけ!」と強い調子で語っていたのが印象的でした。と同時に、その彼女に「銃を持つな」と言えない私がいるのを知らされました。
すっきりとした気持ちになれず心にわだかまりが生じる出来事は、北京五輪でもありました。フィギュアスケートの選手を取り巻くドーピング問題や、複数の競技で不公平だと思われるような判定があったことなどです。五輪自体が、個人のためのものか、国家のためのものか、考えさせられる大会でした。その狭間(はざま)で多くの選手やスタッフが心悩ませ、踊らされ、悔しい思いをしたことでしょう。
ドロドロとした人間社会の暗部は日本国内でも多々露見(ろけん)していて、希望の持てる未来が見えず、混沌(こんとん)としているのが現状なのです。
温かく包む光明
そんな人間の有り様を『無量寿経』には、「人々はまことに浅はかであって、みな急がなくてもよいことを争いあっており、この激しい悪と苦の中であくせくと働き、...みな金銭のことで悩んでいる。それがあろうがなかろうが、憂(うれ)え悩むことに変()かわりがなく、あれこれと嘆(なげ)き苦しみ、後先(あとさき)のことをいろいろと心配し、いつも欲のために追い回されて、少しも安らかなときがないのである」(現代語版『浄土三部経』95ページ)と説かれています。
欲と怒りと争いの心を起こして互いの心を傷つけ、自身も苦悩を深めていくのです。
そんな私たちに、如来さまは一切の善悪を超えてすべてを輝かせ、自他のいのちを尊び喜ぶ心にさせると誓われ、光明となって私たちを照らし護ってくださっているのです。
それを親鸞聖人は「正信偈」で
「貪愛瞋憎之雲霧(とんないしんぞうしうんむ)
常覆真実信心天(じょうふしんじつしんじんてん)
譬如日光覆雲霧(ひにょにっこうふうんむ)
雲霧之下明無闇(うんむしげみょうむあん)
(貪愛(とんない)・瞋憎(しんぞう)の雲霧(うんむ)、つねに真実信心(しんじつしんじん)の天(てん)に覆(おお)へり。たとへば日光(にっこう)の雲霧(うんむ)に覆(おお)はるれども、雲霧(うんむ)の下(した)あきらかにして闇(やみ)なきがごとし)」(註釈版聖典204ページ)
と味わわれました。
つまり、貪欲(とんよく)や瞋恚(しんに)など煩悩の雲や霧が如来の真心である光明の天を覆(おお)っていても、如来の光明を信じる者には、日光が雲霧の下を明るく照らすように、煩悩の闇を貫いて常に照らし護ってくださるのだと喜ばれるのです。
立春を過ぎた頃、本堂を遊び場にしている3歳の孫が、クモが死んでいるのを見つけました。普段もクモはいたのですが、見つけるとその都度、本堂前の植込みに放してあげていました。
同じクモかわかりませんが、私は孫と相談してクモの死骸を境内に埋めてあげることにしました。孫はいたわるような目でクモを土に埋め、私と一緒にナンマンダブツと手を合わせたのです。その孫を日光が明るく照らしていました。孫とクモ、ともに小さないのちですが、如来さまの光明が温かく包んでくださっているようでした。春霞の向こうから光明は確かに届いていたのです。
(本願寺新報 2022年03月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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