読むお坊さんのお話

間違いのない行き先 -南無阿弥陀仏となって私に至り届いたお慈悲-

花田 照夫(はなだ てるお)

布教使 福岡県桂川町・長明寺住職

ひょっとすると・・・

 今から10年ほど前、お正月の三が日が明けた1月4日のことでした。

 早朝の勤行(ごんぎょう)と掃除(そうじ)を終えた私は、本堂を後にしました。そして「さあ正月も終わり!今年も1年頑張るぞ!」と、庫裏(くり)との間の引き戸を勢いよく閉めたのです。その瞬間です。激しい痛みが指を襲いました。

 なんと私は戸を閉めた際、重い木製の戸で右手の薬指をはさんでしまったのです。赤黒く腫(は)れあがった指は血がにじんでいます。悶絶(もんぜつ)しながら台所に行き、すぐに指を氷水につけましたが、ズキンズキンとした痛みは強まるばかり。その間も、指はどんどんふくれてきます。

 家族に事情を話した私は、すぐに病院に行くことにしました。正月明けの早朝、しかもこの日は休日でしたので、向かったのは市の総合病院の緊急外来でした。正月明けの緊急外来は非常に混雑していました。やっとのことでレントゲンを受けた私の診断結果は骨折。指先が完全に割れており、全治3週間とのことでした。

 私にとって、人生初の骨折でした。診察室を出た私は、正月早々の不幸、しかもドジな不幸にひとり落ち込みながら、会計窓口の行列に並んだのでした。

 そんな時です。私の心の中にある思いが、ふと湧き上がってきました。

 「ちょっとまてよ。自分がこのままこの地でお寺の住職としての人生をまっとうしていくとしたら、ひょっとするとこの病院が〝人生最後の場所〟になる可能性が高いんだなぁ...」

 そうです。地元では規模、病床数が最大の総合病院が、現在いるこの病院。ならば、私が救急車で担(かつ)ぎ込まれたり、また、老いや病で人生を終えていく場所として、一番可能性が高いのがこの病院なのです。

 そう思うと、私は今いるこの場所に対して、妙な親しみが湧いてきました。そして、「骨折はもう仕方ない。ここまできたら逆に開きなおろう。せっかくだし、ここをよく見ておこう」と、広大な病院の見学を始めました。

「そのまま救う」

 しばらく歩き回った時でした。今度はこんな思いが湧き上がってきたのです。

 「もしここで命を終えていくならば、この病院の天井が自分の人生最後の景色になる可能性があるんだなぁ...」

 今度は天井を見ながら歩き始めました。そして気が付けば、私の口からは「なんまんだぶ、なんまんだぶ...」とお念仏がこぼれはじめたのです。私は天井を見ながら、こんなことを思ったのです。

 人生最後の時、私はこの天井を見ながら、お浄土をたのもしく思い、そして、お念仏申していけるんだなぁ...。

 これって、すごいことだなぁ...。

 最後の時、それは、もしかしたら人生で一番苦しくて、不安な時かもしれない。けれども、そんな中でなお、「むなしく消えていく私じゃなかった。お浄土に生まれさせていただく私だった」と、たのもしく思える世界がある。

 「なんまんだぶ、なんまんだぶ...」とお念仏を称(とな)えられる人生がある。お念仏のよろこびを感じる世界がある。これって、すごいことだなぁ。うれしいなぁ...。

 人々で混雑する病院の中を歩きながら、人知れずお念仏を申させていただいたことでした。

 『歎異抄』の冒頭、第1条には、「弥陀(みだ)の誓願(せいがん)不思議(ふしぎ)にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申(もう)さんとおもひたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)にあづけしめたまふなり」(註釈版聖典831ページ)とあります。

 摂取不捨とは、摂(おさ)め取って捨てないということです。私たちは、阿弥陀さまの大きなお慈悲に抱かれ、お浄土に参らせていただくのです。そして、そのお慈悲は、もう南無阿弥陀仏となって私のところに至り届いてくださっています。

 「そのまま救う」のお慈悲は、「いま・ここ・私」の南無阿弥陀仏のうえに輝いてくださっているのです。その中を、日々、お念仏を申しながら歩む人生。それは、お浄土という新たな人生の風景をいただき、間違いのないいのちの行き先をいただいた人生なのです。

(本願寺新報 2022年04月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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