読むお坊さんのお話

1日1日大切に生きる -いつ棺に入る身になるかもしれない私-

田中 真英(たなか しんえい)

本願寺派総合研究所上級研究員 滋賀県米原市・善楽寺住職

棺に入る体験

 今から5年ほど前のことです。ある集いに参加し、めったにない体験をしました。それは生きている自分が棺(ひつぎ)に入って納まるという納棺体験と、葬儀をされるという体験でした。

 はじめに、自分の入る棺を見ました。見てすぐに、数年前に祖母が亡くなった時の悲しい思い出が鮮明によみがえってきました。祖母の葬儀を終え、いよいよ出棺する時、棺の窓から祖母を見て涙しました。祖母をなくした悲しみと、当時、闘病中だった母も、いずれこの中に納まるのかという思いが混ざり合い、どうしようもない悲しさに襲われたのでした。

 棺は、本来生きている間に入るものではありませんから、自分が入ることはあまり気乗りはしませんでした。しかし、棺の中に入ることでわかることもある、という主催者の方の説明を受けました。それを聞き、納棺体験をすることで死への認識が高まり、生きていく上で、死を正面から考えていく思考が生じることもあるのだろうと思いました。そういう点では、生に比重をおいて生きている私たちにとって、この体験は、もしかしたらとても大切なことなのかもしれないと思いました。でも、やはりあまり気乗りはしませんでした。

 いよいよ、私が中に入ることになりました。衣服と身を整えた後、足から入り、ゆっくりと棺の中に座りました。そして、せまい棺の中をおそるおそる横たわっていきました。棺の中は、体が動かないほどの窮屈さでした。収まった私の姿を見届け、ほかの参加者の皆さんが蓋(ふた)を閉めてくれました。もう自分では何もできない状態になりました。

 私を納めた棺は、しばらくすると祭壇の中央に運ばれていきました。続いて、葬儀式が始まりました。私の名前が読み上げられた表白(ひょうびゃく)が終わり、おつとめが始まりました。いつもは導師として棺の前に座り、おつとめをしている私ですが、棺の中でたった一人、おつとめの声を聞きました。

 おつとめが終わり、最後に、集まった方々が棺の中にお花を入れてくださり、式は終わりました。

わき起こる不安

 納棺され、おつとめをしていただき、棺の中で横たわっていた私。どんな気持ちだったでしょうか。そこでの私は、残念ながら涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)と言われるように、静かに落ちついた心持ちになっていられるはずはありませんでした。もちろん生きているわけですから、雑念が山のように出ては消え、おつとめの声をゆっくり聞くこともなく、いろんなことが頭を駆け巡っていました。

 「棺の中で聞こえる読経の声。皆さんにいただく献花は、このような私への悲しみの中に添えられるのか」という思いもありましたが、もっと強くいだいたのは「私が死んだら、家族はこの先どうなるんだろう」「やり残したことがまだまだたくさんあるのに...死にたくない」など不安な思いで、とても静寂なる感情ではいられませんでした。

 蓮如上人は「御文章(ごぶんしょう)」の中で次のように言われています。

 「もしただいまも無常の風きたりてさそひなば、いかなる病苦にあひてかむなしくなりなんや。まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず。されば死出(しで)の山路(やまじ)のすゑ、三塗(さんず)の大河(たいが)をばただひとりこそゆきなんずれ」
  (註釈版聖典1100ページ)

 無常の風が吹いた時、すなわち、死んでいく時には、どんなにたよりにしていた家族や財産も、全てを置いていかねばならない身であると言われています。蓮如上人のこのお言葉の通りだと、納棺体験を通して納得しました。

 いつ「本当に」棺の中に入る身になるかもしれない私です。ということは、生きることには必ず死が密着しており、切り離すことができないということです。この納棺体験で、必ず死にゆくわが身であると、あらためて教わりました。

 蓮如上人は先の文に続けて、 「これによりて、ただふかくねがふべきは後生(ごしょう)なり、またたのむべきは弥陀如来なり、信心決定(けつじょう)してまゐるべきは安養(あんにょう)の浄土なりとおもふべきなり」と続けておられます。

 私には、安心して死んでいける道、母や祖母とお浄土で再び相まみえることができる道があるということを、あらためて有り難いと感じました。今日の1日を、大切に生きていきたいと思います。

(本願寺新報 2022年05月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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