読むお坊さんのお話

大切な宝物 -勝手に価値を決めている私たち-

能美 潤史(のうみ じゅんし)

龍谷大学准教授 広島県北広島町・圓立寺衆徒

すごく楽しかった

 昨年の春の話です。朝、私が大学に出勤するために玄関で靴を履いていると、3歳だった娘が「お父さん、これおみやげ。宝物が入ってるよ」と言って、紙に包まれた小さなものを私に手渡してくれました。「おみやげ」とは「プレゼント」のことです。

 「これなあに」と尋ねると、「大学についたらあけてみてね」と、娘は言いました。

 私は言われたとおり、大学の駐車場に着いてから車の中で包み紙をあけてみると、中には小さな石がひとつ入っていました。その石は特別きれいな色や形をしているというわけでもなく、どこにでも落ちていそうな石でした。

 夕方、家に帰って娘に「今日の朝、お父さんにくれた石は何だったの」と尋ねると、「あの石はこの間お父さんと公園ですべり台をして遊んだ時に、すべり台の下に落ちていた石なの。あの日はすごく楽しかったの」と教えてくれました。

 確かにその数日前、娘と家の近くの公園に行き、すべり台で遊びました。私は普段、大学の仕事やお寺の法務などでバタバタとすることも多く、公園に行ったその日は、久しぶりに娘とゆっくり遊ぶことができた日でした。娘は公園でひろったその石を家に持って帰り、机の引き出しに入れて大切に持っていてくれたようです。

 その日の夜、娘の机の引き出しの中に、ほかにもいくつか石が入っていることに気づいたので、「これは何の石なの」と娘に尋ねてみました。すると娘は、ひとつひとつの石について、「これはお母さんとセミの抜けがらを集めた時にひろった石」「これは長崎のおばあちゃんと川の近くを散歩した時にひろった石」というように、それぞれの石にまつわる思い出を話してくれ、それらの石はすべて「宝物」であると娘は言いました。

 私からみるとただの石にしか見えないものを、娘はさまざまな思い出が刻まれた「宝物」として大切にしています。

 私は娘のその姿にハッとさせられました。

臨終の一念まで

 私たちは年齢を重ねていく中で、いつの頃からか物の価値を値段や、自分にとって役に立つか立たないかという基準で判断するようになってしまっています。しかし、豪華に輝く宝石も、道端に落ちている石ころも、もとから価値が決まっているわけではありません。私たちが勝手に値段をつけ、光輝く宝石には価値がある、道端の石には価値がないと思い込み、価値があるものを求めて人と争いを起こすこともあります。その上、自分を誰かと比較して優劣をつけ、優越感にひたったり、時に自分をつまらない人間であると思い込んで悩み苦しんだりしています。

 このように私たちは、「価値あるものを手に入れたい」「人よりも評価されたい」といった欲望の渦の中でもがき苦しんで生きています。このようなあり方を親鸞聖人は、
「凡夫(ぼんぶ)」といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身(み)にみちみちて、欲(よく)もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終(りんじゅう)の一念(いちねん)にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず (註釈版聖典693ページ)
とお示しくださいました。

 私たちは命終わるその時まで、欲の心である煩悩に突き動かされ、怒りや妬(ねた)みを繰り返して生きていく凡夫(ぼんぶ)です。阿弥陀さまは、私たちのそのような姿をご覧になり、何としても救いたいと立ち上がってくださった仏さまです。

 浄土真宗のお念仏とは、その阿弥陀さまが「南無阿弥陀仏」という声の仏となって今ここに至り届いてくださっているすがたなのです。そして、ご和讃に「一子(いっし)のごとく」とあるように、阿弥陀さまはすべてのものをたった一人のわが子のように大切に思ってくださる仏さまですから、私たちに優劣をつけることなど決してなさりません。

 「私があなたを必ず救いますよ。あなたはあなたのままでいいのですよ」と、今も私のところに至り届いてくださっているのです。

 さて、今朝も娘をひざに乗せて、大きな声で一緒にお念仏させていただきました。大切な家族と共にお念仏を味わわせていただける朝のひとときを、とてもありがたい時間であると感じます。しかし、今、海外では戦争が起こっています。平和な日常が破壊され、大切な家族を失って嘆き悲しむ人々の姿がテレビに映し出されるたびに胸が痛みます。世界から戦争が無くなることを願わずにはおれません。

(本願寺新報 2022年05月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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