出遇い -素朴な人間の感情を包みこむ浄土真宗-
塚本 一真
本願寺総合研究所上級研究員 中央仏教学院講師

今にして思えば
出遇(あ)いの尊さに気づくのは、その時ではなく、じつはずっと後になってからなのかもしれません。
ことし、長年お導きいただいた恩師が、ご往生されました。
龍谷大学の3年の時、所属したゼミで読んでいたのは「真宗百論題」というものでした。浄土真宗のみ教えについて、学僧が議論を重ねた研究と理論の集成書です。専門用語はもちろん、旧漢字の「體(体)(たい)」の読み方を調べるような私に、お聖教(しょうぎょう)の大切さを繰り返し教えてくださったのが先生でした。
今思えば、私にとっては、教え子思いの先生と、み教えの学びを志す仲間たちとの、人生をかえる出遇いでした。それから、おおよそ25年。学問的な厳しさ、論理的矛盾への鋭さ、ご法義への真摯(しんし)な姿勢、学びの喜び、仏教遺跡をめぐる楽しさ。時に厳しく、時にやさしい先生の顔をそばで見てきました。
先生の葬儀では、自らを奮い立たせながら過ごしましたが、出棺前に花をたむけ、最後にお顔を見て「がんばります」と小さく声に出した途端、思いがけず、おさえきれない感情と涙があふれだしました。
このような時、私たちには、自分ではどうにもならない、コントロールのきかないものがあることを知らされます。説明のできない寂しさに、あらがうことができないのです。
地に足のつかない日々の中に、私のたよりとなるものは何でしょうか。そのような時に、支えとなるのは、やはりお浄土のみ教え、念仏のご法義しかないのだと感じています。
私は先生と一緒に2年に一度、仏教遺跡をめぐるツアーを企画していました。インドをはじめ中国、スリランカ、カンボジア、タイ、どれもそこにしかない学びとともに楽しい思い出があります。先生と最後に行ったのはミャンマーです。現在も仏教の香りが満ちている国のパガンという地域では、11世紀から13世紀頃に建築された寺院群が縦横約40キロ四方に点在しています。その数は3000を超えるといわれるほどです。そこは親鸞聖人がおられた時代、遠く離れた地に栄えた仏教の国であり、私がずっと行ってみたいと思っていた場所でした。
浄土の一門のみ
日がしずむ時間となり、小高い丘に登って見えてきた眼前の景色は、私の想像をはるかに超え、夕日と相まって荘厳な雰囲気が漂っていました。その時、隣にいた先生がポツリと「塚本くん、あの方角にお浄土があるんやなあ」と言われたのです。
私は、赤々と燃える夕日と茜色(あかねいろ)に染まる空を眺めながら、先生の西方浄土への思いにふれたような気がして、胸がいっぱいになりました。
それは、お聖教に精通し、精緻(せいち)な研究を行ってきた先生が、よく語られていたことでもあります。
中国の道綽禅師(どうしゃくぜんじ)が著された『安楽集(あんらくしゅう)』には、
ただ浄土の一門のみありて、情(じょう)をもつて悕(ねが)ひて趣入(しゅにゅう)すべし。
(註釈版聖典七祖篇184ページ)
という言葉があります。
これは、お浄土の方角を日の沈む西方とさし示された阿弥陀如来のみ教えは、私たち凡夫(ぼんぶ)の心情を遮(さえぎ)らないということを述べられた内容です。
先生は、祖師方の言葉も学僧の議論も学びつくされた上で、西方の浄土に生まれゆくみ教えは、「決して知的理解の上に成り立つものではなく、情的な把握が中心となるものでしょう」と語っておられました。私たちは、日々の暮らしの中で、泣き、笑い、怒って生活しています。そのような素朴な人間の感情を包みこむ教えが浄土真宗なのです。
み教えによって、寂しさや悲しみがなくなるわけではありません。しかし、私は先だっていかれた方を思うことができる世界があって本当によかったと思います。
浄土真宗は、生きることも死ぬことも、阿弥陀如来という仏さまに抱かれているというみ教えです。そのみ教えに出遇えたからこそ、今の安心があります。その安心が、はたらきとなって未来に向かう歩みを進ませるのではないでしょうか。
私は、寂しさの中に、そのみ教えを繰り返し伝えてくださった先生との出遇いをよろこび、歩んでいきたいと思うのです。
(本願寺新報 2022年06月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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