読むお坊さんのお話

母の姿を通して -私に与えてくれていた慈愛に今気づく-

田中 真英(たなか しんえい)

本願寺派総合研究所上級研究員 滋賀県米原市・善楽寺住職

ダーナ講

 ここ数年は新型コロナの影響で中止していますが、私のお寺では、毎年3月にダーナ講という法要をつとめています。この法要は、前坊守である私の母が呼びかけて、仏教婦人会の主催で始めたものです。法要だけでなく、さまざまな催しが行われてきました。私の幼い頃から、会長さんと副会長さんを中心に、その年の役員さんたちが歌を披露されたり、時には日本舞踊、さらには楽器による演奏会などを開催してくださっていたことを思い出します。仏教婦人会は結成から75年以上が経ちますが、仏婦とともに歩んできた法要でもあります。

 ダーナとは、インドの言葉であるサンスクリット語の音写(おんしゃ)語です。漢字では「檀那」と表します。漢訳では「布施」と表すように、施しの意味で「他に与える」ということです。

 ダーナ講ではその名の通り、おつとめの後に、役員の皆さんが持ち寄ってこられた手作りのお菓子や飲み物などが、お参りにこられたご門徒の皆さんに振る舞われます。時には、母が作ったゼリーやプリン、炊き込みご飯やお吸い物、役員さんのお手製のお惣菜などを囲んで、お昼ご飯をみんなでいただいていたこともありました。母が、皆さんと楽しそうに分け合って食べている光景が昨日のことのように目に浮かびます。

 母はやさしい人でしたが、小学校の教員をしていたせいか、私たちの教育にはそれなりに厳しい面がありました。反抗期を迎えた私は、なかなか素直に言うことを聞かずに、生意気な態度でたびたび困らせたものです。

 しかし、私の成長にしたがって、母の対応も徐々に変化していきました。厳しい一面はなりをひそめ、私が社会人になってからは、いつもニコニコしているのです。そんな母に私はと言えば、いつも無愛想な態度を繰り返してきました。

 ご門徒にも、家族にも、いつも明るくしていた母が、ある日を境に大きく変化しました。それはお寺の火災でした。2014年、お寺が全焼してしまったのです。それがきっかけとなり、母の笑顔は少しずつ消えていきました。「大切なお寺を失ってしまった」という申し訳なさと、深い悲しみからだと思います。

 本堂再建のために建てた小さなプレハブに、総代さんと私たち家族の合わせて十数人が毎週末、深夜に及ぶまで会議を開いていました。母は、飲み物とお茶菓子を用意してくれたあとは、会合に参加せず下がっていました。

 母は、会合が終わるまで寝ずに待ち、私をねぎらってくれ、そしてその日のうちに京都に帰る際には、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれました。

 その母も、4年前に往生しました。亡くなる1年前に病気が見つかり、入退院を繰り返しながら闘病しましたが、回復することなく息を引き取りました。

恐怖心をのぞく

 布施には、一般に三施(さんせ)があるといいます。一つには財物をほどこすという財施。二つには法を説くという法施。そして三つには人におそれの念を起こさせない、恐怖心を取り除くという無畏施(むいせ)です。

 無畏施という言葉に、母の姿が浮かび上がってきます。ご門徒の前や私たちに見せていた母のあの笑顔。会合でお寺の再建という不安をいっぱい感じていた私の心身をいたわり、ねぎらいの言葉をかけ、私を見送ってくれたあの姿。安らぎを与えてくれる慈愛に満ちた姿だと、今は思っています。母を失ったことでようやく気づかされた私でした。

 親鸞聖人が著された「浄土和讃」の中に「一子地(いっしじ)」という言葉が出てきます。聖人はその言葉に「三界(さんがい)の衆生(しゅじょう)をわがひとり子(ご)とおもふことを得(う)るを一子地(いっしじ)といふなり」(註釈版聖典573ページ脚註)という説明を付けておられます。

 阿弥陀さまという仏さまは、母がひとり子を思うように私を思い続けてくださいます。つらくて誰にも言えない時、悲しくてしょうがない時、母のように「私がいるから」と私を包んでくださるのが仏さまです。母を亡くして初めて深く知った母の慈愛、そして、それを知ったことで阿弥陀さまのはたらきが身にしみてくるようになりました。

 阿弥陀さまの大悲に照らされて見えてきたものは、母に甘えていた私と、母が私にしてくれたダーナの姿でもありました。母が始めたダーナ講を、来年こそはつとめたいと思っています。

(本願寺新報 2022年07月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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