さらさらと生きる -お浄土に流れゆく人生をいただく-
深水 顕真
布教使 広島県三次市・専正寺住職
水の流れのように
岩もあり木の根もあれど
さらさらとたださらさらと
水の流るる
この歌は、宗門校の京都女子学園の創設者である甲斐和里子(かい わりこ)先生のものです。
水の流れは、時に岩に、時に木の根にさえぎられても、岩や木の根に添うようにして「さらさらと」流れていきます。人生の中で私たちはさまざまな困難に突き当たります。それらをこの身に受けとめながらも、水のように「さらさらと」流れていくことができる。それが念仏者の生き方であること、そして浄土真宗の救いのはたらきであることを、この歌は教えてくださっているのでしょう。
私はつい先日、この歌に初めてであいました。それはとてもつらいご縁でもありました。親友が8月のある朝、自宅で倒れ、49歳という若さで往生したのです。その葬儀のあいさつで、親友のお連れ合いがこの歌を、彼が好きだった歌だと紹介してくださいました。
彼は20年ほど前、関西からお連れ合いと一緒に自坊の後継者として広島へ帰ってきました。過疎高齢化の進んでいる地域ですが、6人の子どもに恵まれ、公務員としても励む彼は、地域の期待の星でもありました。さらに、来年には住職継職法要を予定しており、その意気込みを周囲に話していたようです。
また、彼は本堂のお荘厳(しょうごん)や仏事の作法などに詳しく、市役所勤務の合い間をぬって、私のお寺の法要を手伝ってくれることが何度もありました。
私の住職継職法要の時も、もちろん彼が力をかしてくれました。その準備に駆け回る中、私と彼は仏華をいけるため、山に入って松を切り出しました。苦労して軽トラックに乗せてお寺に帰り、そして2人で縁側に座って5月の心地よい風を受け水分補給をしながら休憩しました。
「法要のことを忘れて、ずっとこのままでいたいなあ」
2人でそんな軽口を言い、笑いあい、しばらくして作業に戻ったことを覚えています。彼はそうした仕事を、時には笑いながら、「さらさらと」こなしていく人でした。
一つの味になる
葬儀が終わった今でも、彼が突然往生したことが信じられません。ひょっとしたら今も市役所で勤務をし、休日には子どもたちと遊び、そして法要の手伝いに顔を出してくれるのではないだろうかと思えます。
そんな悲しみと悔しさを抱える私が今できるのは、お念仏をいただくことしかありません。通夜で参列の皆さんと一緒におつとめした正信偈には次の4句があります。
能発一念喜愛心(のうほついちねんきあいしん)
不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)
凡聖逆謗斉回入(ぼんじょうぎゃくほうさいえにゅう)
如衆水入海一味(にゅしゅしいにゅうかいいちみ)
「信をおこして、阿弥陀仏の救いを喜ぶ人は、自ら煩悩を断ち切らないまま、浄土でさとりを得ることができる。凡夫(ぼんぶ)も聖者(しょうじゃ)も、五逆(ごぎゃく)のものも謗法(ほうぼう)のものも、みな本願海に入れば、どの川の水も海に入ると一つの味になるように、等しく救われる」
(現代語版『教行信証』144ページ)
この正信偈の4句で、親鸞聖人は阿弥陀仏の救いのはたらきをわかりやすくたとえておられます。阿弥陀仏の救いとは、自ら煩悩を断てない私のための救いであり、どんな川も海に入れば同じ塩味になるように、さまざまな生き方をする人たちが、それぞれ本願海に入り一つの味となる、つまり等しく仏となるはたらきであるといわれるのです。
この4句は、今の私の心に響きわたります。往生した彼は、1人の人間として、父親として、そして僧侶として、お念仏をよろこび49年の生涯を「さらさらと」生き、全(まっと)うしました。そして彼のいのちは今お浄土へと流れ込み、一つの味となっています。
そしてここから、残された私の生き方も見えてきます。愛別離苦(あいべつりく)という人生の困難に対し、「さらさらと」した水の流れのような生き方ができるのです。そして、木の根や岩にさえぎられ小川のように揺らいだ人生であっても、最後にはお浄土に流れゆく生涯であると思えます。
残念ながら、もはや彼と直接言葉を交わすことはできません。しかし、同じ流れに身をまかせていると思えることは、心の安らぎとなります。そして私自身も海へ着いた時には、「さらさらと」流れてきたことを彼と一緒に語り合えたらと思っています。
(本願寺新報 2022年09月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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