生きる指針 -智慧の念仏をいただいて歩む人生-
佐々木 隆晃
相愛大学准教授 兵庫県猪名川町・圓行寺衆徒

故人を偲ぶとき
9月8日、イギリスのエリザベス女王が亡くなりました。世界中から敬愛された女王の逝去の報に接し、多くの方々が悲しみとともに女王の足跡を偲(しの)びました。
本願寺にも、女王との思い出があります。47年前の1975年、来日された女王は京都へお越しになり、本願寺を訪れました。その時5歳だった私は、本山の境内にある本願寺中央幼稚園に通っていて、先生に教えてもらいながら、みんなでクレヨンを使って色を塗り、手製のイギリス国旗と日本国旗を作りました。
当日、両手に持った二つの国旗を一生懸命振りながら女王をお迎えしたところまでは覚えていますが、女王のお姿や様子など、細かい部分はあまり覚えていません。園児に向かって「サンキューって言わはった」と、その時のことを関西弁で答えている新聞記事を、後になって見たことがあります。
考えてみると、子どもにとってはにぎやかなイベントの一つであって、いろいろなことが起こる毎日の生活のほんの一コマでしかなかったのかもしれません。それより、まわりの大人たちにとっては大変な準備と心配りをした出来事であり、記憶に残る思い出だったのでしょう。私たちの毎日は自分自身が気づいていること、わかっていることよりも、自分では見えないところ、気づかないところで多くの方々とかかわり、支えられて成り立っているのですね。
敬慕の思いの中で女王の足跡を偲びながら、女王の笑顔、立ち居振る舞い、まわりの方に向けた思いやりなど、印象に残るそのお姿に多くの方が思いを寄せました。そして、自身の歩みとともに振り返った方も多いでしょう。故人を偲ぶとき、思い出とともに私たちはまわりのあらゆるものに生かされてきたそのご恩を、あらためて感じ取らせていただけるように思います。
導かれ育てられる
一連の報道の中で、エリザベス女王の言葉が、世相や社会の動きをとらえ、大切なことを教えてくれるものとして紹介されていました。
「行動と熟考。そのあいだでうまくバランスを取らなくてはいけません」
毎日の生活では行動することも、熟考することも、いずれも大切であるのはもちろんです。そして、そのあいだでバランスを取ることがいかに難しいかということを、誰もが思うのではないでしょうか。
うまくバランスを取っているつもりでも、自分では気づかないうちに立ち位置がズレてしまっていることがあります。わかっていてもバランスを取ることができず、悩んでしまうこともあるかもしれません。
仏教では、「私たちの心や身体は、常に調えることを怠(おこた)ると暴れる」と考えます。私たちは自分自身の思いや行為に対して自覚的でなければ、次第に極端な方向へと連鎖し続けてしまう。だからこそ、一旦、自分の都合という色メガネを外してものごとを見ることの重要性を説きます(釈徹宗著『ゼロからの宗教の授業』取意)。精いっぱい生きていればこそ、自分で自分のバランスを取り続けることがいかに難しいかを思い知るのです。
イギリスには英国国教会がありますので、エリザベス女王はキリスト教という生きる指針を持っておられたのでしょう。自分の正しさだけを主張するのではなく、他者の思いを理解しようとすることを大切にされ、多くの方から敬慕されたのではないでしょうか。
浄土真宗には南無阿弥陀仏という生きる指針があります。阿弥陀さまの願いを通してものごとを見つめることが、生きていく上での大切なバランスになります。
親鸞聖人は、阿弥陀さまのはたらきの中に摂(おさ)め取られて生きる念仏者のことを次のようにお示しくださいました。
智慧(ちえ)の念仏うることは
法蔵願力(ほうぞうがんりき)のなせるなり
(註釈版聖典606ページ)
智慧とは阿弥陀さまの功徳であり、その阿弥陀さまの智慧(念仏)に導かれ、育てられるからこそ、私のためにまわりの方々が大変な準備と心配りをしてくださっていることに気づくことができるのです。それをおかげさまといただいてきた先人方を偲びながら、生きる指針のある確かな人生を歩ませていただけることに感謝したいと思います。
(本願寺新報 2022年10月20日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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