読むお坊さんのお話

いのち尊し-仏さまの言葉を通してのみ知らされること-

名和 康成(なわ・こうじょう)

布教使・北海道三笠市・善行寺住職

見る人が見ると

 皆さんは、無人小惑星探査機「はやぶさ」をご存じでしょうか。月以外の天体から世界で初めてサンプル(砂や石など)を地球に持ち帰ってきたのが、はやぶさです。


 はやぶさの大きさは軽自動車くらいで、重さは500キロほどしかありません。その探査機が地球から3億キロ離れている「イトカワ」という落花生のような形をした長さ500メートルほどの小惑星をめざしたのです。


 もし新幹線で行けば120年かかるほど離れており、そこに行くということは、まるで日本から放った矢を、ブラジルにある5ミリほどの的にあてるほど難しいことなのだそうです。世界中の科学者から絶対に無理だといわれていたのに、あきらめたらそこに進歩はないと挑戦し続けたのが、日本の科学者たちだったのです。


 技術の粋を集めた機体は、数々のトラブルに見舞われつつも、なんと7年間の宇宙の旅を終え、イトカワの砂を採取して帰ってきたことは、当時大きな話題となり、映画化までされました。最後まであきらめない科学者たちの奮闘の様子と、ボロボロになりながらも帰還したはやぶさの姿は、たくさんの方々の感動を呼んだのです。


 さらに注目を浴びたのが、はやぶさが持ち帰った砂でした。カプセルには、髪の毛の太さにも満たない小さな砂の粒子が、1500粒だけ入っていました。私たちが見ても、そのあたりに落ちているのものと見分けがつかない砂粒。しかし、科学者が調査すると、なんと46億年前に太陽系ができた時の様子がわかるのだそうです。


 さらにはアミノ酸や水分など、生命が生まれるために必要な要素がいっぱいつまっていて、生命の起源が地球ではなく、宇宙にあることが証明されたのです。このことは、世界が驚く大きな発見でした。


 私たちのいのちの起源が、はるか昔の宇宙の彼方にあった...。そのことは、私のいのちが数十億年の宇宙の歴史の末にできあがったものであることを物語っているのです。一朝一夕ではできない私のいのち。「あなたのいのちは、そこにいるだけですごいことなのだよ」と、はやぶさと科学者は教えてくれたのです。


 見る人が見るとわかることがあるのです。そのことは、私たちが仏さまのお言葉を聞かせていただくことの意味と通じるところがあると感じました。


私の闇を破る光

この如来は光明なり、光明は智慧なり、智慧はひかりのかたちなり。
(註釈版聖典691㌻)


 光明とは阿弥陀如来のお心のことをいい、「心光」とも表現されます。如来さまの智慧は、ものごとのありのままの姿を明らかにし、如来さまのものの見方こそまことと受け入れる心を育んでくださいます。また、光とは具体的には経典の言葉をさし、その教えの言葉が、まるで光のごとく、私の心の闇を破り、如来さまの救いへと導いてくださるのです。


 私のものの見方は非常にせまいものです。好きか嫌いか、儲かるか損するか、役に立つか立たないかなど、自分中心の見方から離れられず、物事や、いのちの本当の価値など、はたしてどれほどわかっているのでしょうか。それはまるで闇の中のごとく、ものごとの本当の姿を見失っている状態と言えましょう。


 そのような私にとって、如来さまのお言葉は光です。この私のいのちに、かけがえのなさをご覧になり、「必ず仏にするぞ」と、はたらいてくださっているのが阿弥陀如来という仏さまなのです。それはあたかも、一粒の砂にも宇宙の歴史や生命の起源を見た科学者の目を通すがごとく、経典の言葉を通してのみ知らされることなのです。


 そもそも自分で自分のいのちの尊さなんてわかるものなのでしょうか。周りの人から評価されて、褒められ、必要とされて、その時は自分が自分でよかったと思えても、そうでなくなった途端、簡単に見失ってしまうものです。


 私のいのちの尊さは、「どのようなあなたであっても大事」とみてくださる方の言葉の中に知らされるものなのでしょう。はやぶさの活躍と、そして科学者たちの広く深い見識に触れることに胸を打たれつつ、あらためて、み仏さまのお言葉をお聞かせいただくことの大切さを思うのです。


(本願寺新報 2023年05月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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