読むお坊さんのお話

社会性と他力-「してあげる」から「させていただく」へ-

満井 秀城(みつい・しゅうじょう)

本願寺派総合研究所所長職務代行・広島県廿日市市・西教寺住職

マネできない

 5期30日にわたる「親鸞聖人御誕生850年 立教開宗800年慶讃法要」も、明日5月21日でご満座を迎えます。私も地元の組で団体参拝しました。


 ご法要のおつとめは「新制 御本典作法」。組内の副住職さんから感想を聞かれ、「とても厳かで、よい法要でしたね」と言うと、「うちの組でもやりませんか」と言われました。おつとめに自信のない私は、「法要のよさはわかるけど、同じようにはなかなかできません」と答えました。


 実は学問でも同じ感想がありました。私は、恩師と呼べる先生に恵まれました。大学では法然聖人に明るい田村圓澄先生、大学院では日本中世思想史の権威、黒田俊雄先生に師事することができましたが、「いくら憧れても、まねできないな」と感じたものです。父が急死してお寺に戻ることになりましたが、黒田先生から、「どんな形でも、学問研究は続けなさい」と言われ、「知り合いの先生を紹介する」とのことで、石田充之和上が院長を務められていた本山の宗学院に行かせてもらいました。


 それまで他の研究分野でしたから、石田和上のご講義はチンプンカンプンで、板書を書き留めるのが精一杯でした。しかし、15年か20年くらい後に講義ノートを見返すと、「何てすごいことが書いてあるんだ」と驚嘆したのです。知らない間に私も幾ばくか成長したのでしょうか。「継続は力」を実感した気がしました。


 『蓮如上人御一代記聞書』に、「至りてかたきは石なり、至りてやはらかなるは水なり(中略)といへる古き詞あり。いかに不信なりとも、聴聞を心に入れまうさば、御慈悲にて候ふあひだ、信をうべきなり。ただ仏法は聴聞にきはまることなり」(註釈版聖典・千292㌻)とあり、諺に「点滴石を穿つ」とあるように、継続した聴聞が大切ということをお示しです。


救援に来た大学生

 聴聞には継続性が重要です。数学でも物理学でも、理解できるようになるには一定のトレーニングが必須で、仏教にだけ「わかりやすく」と求められても無理な話です。


 しかし、仏教が数学や物理学と違うのは、わからなくても聴聞を続けることで、お慈悲のお育てによって信を恵まれるのです。これまで、浄土真宗のご門徒は、聴聞の継続を心がけてくださってきましたし、今後も大切なことです。


 しかし、現代の、特に若い人たちは、結論を性急に求める傾向があると聞きます。こういう人たちに、どう対応していけばよいのでしょう。


 一発でわかるような魔法のような布教・伝道は不可能でしょう。私たち伝える側が心がけねばならないのは、「継続して聞きたい」と思わせることでしょう。短い時間での勝負を迫られた時、何らかの驚きを伝えられるような布教・伝道こそが、継続への動機付けとなります。


 若い世代の人たちと、どのようにして接点を持ちうるか。一つは、インスタグラムなどのSNSツールの活用が挙げられるでしょう。この点では、すでにいくつか先行して努力されています。今、私が注目したいのは、「社会性」が入り口にならないかということです。


 このように思うきっかけは、昨年末から各地で頻発した大雪災害です。確か山形県でのテレビニュースでした。雪下ろしに駆けつけた全国からの救援者の中に、遠く福岡から来た女子大生が映り、屈託のない笑顔で、「お互いさまですから」と応じていた姿を見てハッとしました。


 現代の若い人たちは、自分さえよければいいというのではなく、他人の役に立つことに、やりがいや充実感を持っていると再発見したのです。根底は自己肯定の枠内なのかもしれませんが、こういった社会性が入り口となって、浄土真宗に親和性を持ち、共感してくれるかもしれないと思いました。


 彼女の社会性は、私たちから見れば、まだ「他力」ではないでしょうし、「自力」でもないかもしれません。なぜなら「自力」も「他力」も共に成仏道ですから。しかし、浄土真宗の教義において、「してあげる」から「させていただく」という価値転換の「濾過装置」さえあれば、「社会性」が立派な入り口になると思うのです。蓮如上人は、清濁あわせのみながら他力の法義へと「濾過」させた名人です。先祖供養という自力の延長線上には他力はありません。しかし、先祖への敬いが、私を仏縁に導いてくださった、こういう価値の転換こそが重要です。


(本願寺新報 2023年05月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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