流れ着く海はひとつ-モルダウの悠久の流れを眺めながら-
江田 智昭
仏教伝道協会職員・北九州市八幡東区・徳養寺衆徒

欧州の浄土真宗
私は2011年から2017年まで、ドイツのデュッセルドルフにあるドイツ惠光寺に勤めていました。ハワイ・カナダ・北米・南米などの海外開教区に関しては多くの方がご存じだと思いますが、ヨーロッパでの開教についてはあまり知られていないかもしれません。
ヨーロッパにおける浄土真宗の伝道は1954年、ドイツ・ベルリンのハリー・ピーパー氏が帰敬式(おかみそり)を受式したことが始まりとされています。その後は帰敬式だけでなく、得度して僧侶となる人もでてこられ、私がドイツに滞在していた6年の間には3人のドイツ人が本山で得度しました。
彼らが得度に行くまでの準備は苦労の連続で、一緒におつとめや衣の畳み方の練習を何度も繰り返しました。ヨーロッパには浄土真宗の僧侶がほとんどいないため、もし私が間違ったことを伝えれば、彼らを通して間違ったことがそのまま現地に広まることになります。決してそうなってはならないという独特の緊張感が当時はありましたし、そのような環境の中で私自身、非常に多くのことを学ばせていただきました。
得度した中の一人は、日本語が全くわからないにもかかわらず、領解文を全文暗記すると心に決めて、私の前で何度も暗唱してくれました。毎日、通勤の車の中でCDを繰り返し聞いて必死に覚えたそうです。私の脳裏には彼の懸命でひたむきな姿が今でも強く焼き付いています。
当時得度した3人は心の底からお念仏をよろこばれており、彼らにはいつも頭が下がる思いでした。他の海外開教区に比べれば人数は非常に少ないかもしれませんが、ヨーロッパにもこのような有り難い念仏者がいることを覚えておいていただければと思います。
また、ヨーロッパには現地の人だけでなく、現在多くの日本人が生活しており、その中にはお念仏の教えを大切にしている方もいらっしゃいます。私はそのような方のために、ドイツやその他の国で法事をする機会がありました。
「わが祖国」
2016年3月にチェコの首都プラハで葬儀をさせていただきました。喪主は私と同郷の福岡の方で、その方のお母さんのお葬式でした。亡くなられたお母さんは90歳まで一人で福岡に住んでいたそうですが、介護が必要になり、プラハに長年住んでいた息子さんが呼び寄せて、3年間介護をしました。そして、プラハで亡くなられました。
そのお母さんは福岡に住んでいた頃、大変熱心に浄土真宗のお寺の法座にお参りされていたそうです。そこで、「母の念願であったので、ぜひ葬儀を浄土真宗の形式で行ってほしい」との依頼があり、私はデュッセルドルフから飛行機を乗り継いでプラハに入り、街の中心部にある葬儀場でおつとめをすることになったのです。
90歳までずっと日本で暮らして、その年齢からプラハに移り住むことは、お母さんにとって非常に困難なことだったと思います。しかし、亡くなられる直前に「プラハでの生活は非常に幸せだった」と息子さんに話していたそうです。
住んでいたご自宅の近くにはモルダウ川が流れていました。お母さんはそのモルダウ川のほとりを散歩することが大好きで、いつもの日課にしていました。私は凍てつく寒さの中でモルダウ川の流れをぼんやりと眺めました。私もそのお母さんと同郷なので、川といえば北九州市の同じ川を思い浮かべるはずです。しかし、気がつけば遥か遠くに来てしまった...。
チェコの作曲家・スメタナの作品に「わが祖国」という交響曲があります。その中でも特にこのモルダウ川をテーマにした第二曲が有名で、私はまだ雪が残るモルダウ川のほとりでふと「わが祖国」を想いました。
葬儀の際におつとめした正信偈の中に「如衆水入海一味」という言葉がでてきます。たとえどんな川の水でも最終的には大きな海に流れ込んで、そこで同じ一つの味になる。これはつまり、どのような場所でどのような人生を送っても、お念仏をよろこぶ者を阿弥陀仏はわけへだてなく救い、浄土に生まれさせていただけるということです。
たとえ日本(祖国)から遠く離れても、再び会わせていただける場所(浄土)がある。モルダウの悠久の流れを眺めながら、阿弥陀さまとお念仏のみ教えの有り難さをしみじみと感じたことを今でも強く覚えています。
(本願寺新報 2023年07月01日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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