読むお坊さんのお話

死んだらどうなる?-私の本当の姿を気づかせてくださる仏さま-

眞壁 法城(まかべ・ほうじょう)

布教使・熊本市中央区・眞法寺住職

なにかモヤモヤと

 先日、新型コロナで3年開催できていなかった布教大会を、「再開」というテーマで本願寺熊本別院で開催することができました。この布教大会、毎回いろんなテーマで開催しているのですが、今までで一番反響が大きかったテーマは「死んだらどぎゃんなっと?」です。だいぶ前の開催だったのですが、死後のことについては皆さん、とても関心があるみたいです。


 その死後について、私たち浄土真宗の教えを聞くものは、この娑婆の縁が尽きたときに浄土に参ると聞かせていただいています。親鸞聖人も「なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり」(註釈版聖典837㌻)などのおことばでお示しくださっています。


 ところが、そう聞いてはいても、いま生きている人で実際にお浄土に参ってきたという人はいないでしょう。浄土に参るということを、どうやったら証明できるのか。合理的に物事を考える人にとっては、そこがどうしても引っかかるようであり、実は昔、私もそこはずーっと引っかかっていました。


 私が浄土真宗のみ教えを学び始めたのは二十代後半でした。暗記には自信があったので、浄土三部経や七高僧のお名前などは順調に覚えていった記憶があります。ところが、いざ仏さまのおさとりの世界や、お浄土の話になると、とたんにモヤモヤと霧がかかるような感じで、「なんとなくはわかるけど...」と、ことばだけは覚えていきながらも、うわべだけの学びのように思えて、今一つしっくりきていない感じがしていました。


 そんなとき、私はある先生の講義を受ける機会がありました。浄土真宗を学んでいる人ならだれでも知っているような高名な先生でした。私はきっと私のこのモヤモヤをきれいに晴らしてもらえると期待して講義に臨んだのですが、その先生の最初の一声は、「これから学ぶ『教行信証』、これをきちんと読めた人は今まで一人もいません。当然、私にもわからないところがたくさんあります。それを踏まえたうえで共に学んでいきましょう」だったのです。


 私はちょっとびっくりしたのですが、同時に、浄土真宗の学びはこれまで自分が学んできた受験勉強などとは本質的に異なるのだと確信しました。そして、そもそもすべてわかるはずがないのだということを素直に受け入れることができたのです。


 完全にスッキリしたわけではありませんでしたが、モヤモヤは抱えたまま学んでいけばよいのだと聞かせていただいて、ずいぶん楽な気持ちになり、それまでの引っかかりが少しとれたのはよく覚えています。


「不可思議」とは

 思えば、私がそれまでやってきた受験勉強というものは、「聞けばわかる」が前提になっていて、「わかる」ことが目的であり、テストのときには解答欄に必ず「聞いてわかった」答えを書き入れていました。ところが浄土真宗のみ教えではそうはなりません。仏さまのおさとりの世界を「聞けばわかる」私ではないのです。まったく逆なのです。仏さまのおさとりの世界を「聞いてもわからない」私なのです。そして、はっきりとわかるのはそのことだけなのであって、「わからない私」を受け入れるしかないわけです。ですから、例えばテストで「仏さまのおさとりの世界について答えなさい」と聞かれたとすれば、「そんなことがわかるような私ではありません」と答えるべきなのです。


 仏さまのおさとりの世界やお浄土の話を聞いたときにモヤモヤと霧がかかったのは、私が自分の理解や常識を超えた「不可思議」な世界に出遇ったからでした。そしてそれを、聞けばわかると思って、不可思議を思議していたから、ずーっと引っかかってしまっていたのです。そのまま聞くということの難しさと大切さ。「不可思議」とは「仏さまのおさとりの世界のことが思いはかれるような私ではない」と、私の本当の姿を気づかせてくださる大切なおことばなのです。


 最初に、私がお浄土に参れることの証明の話をしましたが、結局、「そういうことがわからない私」であるという事実こそが、その証明なのです。以前の私なら、ごまかされているように感じていたかもしれません。しかし、その答えがいつしかしっくりくるようになった私は、親鸞聖人のおことば通りに、娑婆の縁が尽きたときに浄土に参らせていただくことが、本当にありがたく思えます。


(本願寺新報 2023年07月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

※カット(え)の配置やふりがななど、WEBサイト用にレイアウトを変更しています。

※機種により表示が異なるおそれがある環境依存文字(一部の旧字や外字、特殊な記号)は、異体文字や類字または同意となる他の文字・記号で表記しております。

※本文、カット(え)の著作権は作者にあります。

一覧にもどる