先立った友-お浄土で仏となり、私を導いてくれている-
長岡 岳澄
中央仏教学院講師・兵庫県姫路市・金蓮寺住職

雄大な自然の美
たいへん厳しい暑さが続いています。夏といえば海、そして山というイメージですが、私は海か山かでいえば山派です。もう30年ほど前になりますが、学生時代には登山やラフティングという川下り、洞窟探検などをする、少しハードなアウトドア系の部活動に多くの時間を費やしていました。
さまざまな活動をしましたが、中でも力を入れていたのが登山でした。日本には3000メートルを超える山が23座ありますが、富士山と立山を除く21座に登りました。今までの人生の中で見た最もきれいな風景はと問われれば、私は日本の北アルプスにある夏の黒部五郎岳のカール(山肌が氷河によって削られた地形)と答えます。花崗岩の白い山肌に残雪が白く輝き、さまざまな高山植物の緑が映えていて、見る者を圧倒する雄大な自然の美しさでした。できうるならば、もう一度、見てみたいと思っています。黒部五郎岳にたどり着くためには、最短でも3日かかるのですが。
こういった登山をする際には、数人でチームを組んで、テントや寝袋が入った大きなザックを背負い、日の出前には歩き始め、昼過ぎにはテントを張って、食事を取り、寝るという日程を過ごします。登山による肉体的な疲労もありますし、狭いテントの中で、寝袋を並べてぎゅうぎゅうで寝るというのも精神的に疲れます。こういった濃密な時間をともに過ごしたチームのメンバーは、自分にとって特別な友となります。学生時代の友達は終生の友となる場合が多いですが、なかでも特別な友であると私は思っています。
そのような友達ですので、大学を卒業した後も、定期的に集まっていました。卒業後数年が経った頃でした。年明けに集まろうということになっていましたが、私は大学院に在籍中で、試験前だったこともあり、参加できず、部屋でレポートを書いていた夜のことでした。携帯電話が鳴りました。それは友の一人が、交通事故で病院に運ばれたという知らせでした。翌日、その病院に急いで向かいましたが、そこで見たのは、数々の医療器具がつながれ、なんとか命が保たれている友人の姿でした。そして、その後、間もなく友人は臨終を迎えました。
友人の死とともに、また、それぞれが年齢を重ねて家庭を持ったこともあり、友人たちとの定期的な集まりも次第にできなくなり、長い年月が経ちましたが、折に触れては、その友のことを思い返していました。そのような中で、新型コロナの流行を迎えることとなりました。
自然の浄土
新型コロナの流行は世情を一変させましたが、一方で、インターネットによるさまざまなオンラインツールが急激に普及し、オンライン飲み会という集まり方も増えてきました。その流れで、私たちもオンライン飲み会をすることになりました。私はお酒は飲めないのですが、なにしろ十何年ぶりですから、積もる話が山ほどあります。それぞれの近況、子どものこと、今でも登山をしているかどうかなどなど。ひとしきり話をした後、最後に出た話が、亡くなった友のお墓参りに行こう、という話でした。この時、私だけではなく、1人1人が、それぞれに亡くなった友のことを思い続けていたことを、私はうれしく思い、また、亡くなった彼が今でも私たちを結びつけていてくれているのだと感じました。
親鸞聖人は、ご和讃に、 五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて ながく生死をすてはてて 自然の浄土にいたるなれ (註釈版聖典591㌻) とあらわされています。
濁りと悪に満ちた世界に生きる私たちこそ、決して壊れることのない阿弥陀さまのはたらきによって、この迷いの世界を離れ、真実の浄土に往生させていただくのであると示されています。そして、お浄土に生まれ、仏とならせていただいたうえは、
安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかへりては 釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきはもなし (同560㌻) と、迷いの世界に還り、お釈迦さまが人々を導かれたように、人々を救うのであると示されます。
先立った友は、お浄土に生まれ仏となり、今もこの私を導いてくれているのだと味わわせていただき、今年もお盆を迎えたいと思います。
(本願寺新報 2023年08月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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