読むお坊さんのお話

言葉のはたらき-ともに仏さまを仰ぎ、真実を聞かせていただく-

髙田 未明(たかた・みめい)

相愛大学非常勤講師・奈良県橿原市・金臺寺住職

語り継がれる名文

 南極に2回、観測隊として赴かれた方から親しくお話をうかがう機会を得ました。貴重な写真も拝見しながら、興味深いお話をいろいろ聞かせていただきました。今では、南極の観測基地と日本の間は文字や音声、動画さえも瞬時にやり取りできますが、その方が観測隊に参加した1回目のときは、やっと日本と電話が通じるようになった時代だったそうです。


 電話が通じる以前は、日本の家族とのやり取りは電報でした。現在も、祝電や弔電などで電報が用いられる場面があります。電報は文字数にしたがって料金がかかりますので、できるだけ要点をしぼった簡潔な文章となります。


 そんな電報について、観測隊員の間で代々語り継がれている名文があるそうです。それはたった3文字、「アナタ」。


 日本で暮らす妻にとって、1万5000キロ離れた極地で働く夫には、健康状態をはじめ、たずねたいことがたくさんあります。同時に、日本の家族の成長や変化、そしてなにより夫を案ずる思いが、これも山のようにあるでしょう。そんな何時間話しても伝えきれないほどの思いが凝縮された3文字です。


 それを受け取った隊員は、文字の奥に、日本を発つときには園児だったわが子が、ランドセルを背負う姿を思い描いたはずです。そのようなお話をうかがいながら、たとえ短くても、言葉の「はたらき」の大きさを知らされた気がしました。


 今日の日本は、国全体としてみれば物質的な豊かさはあまねいています。すでに豊かさというものを通り越し、不均衡や二極化が深行しているという見方も成り立ちます。物質があふれているためか、物質ではない情報が価値を増大させ、刺激的で煽情的、耳目を集めやすい言葉が次々に発せられ、ネット上で拡散します。それらの多くは一過性で消費される言葉、触れるほどに満たされなくなっていく言葉などといわれることもあります。ですが、これらはなにもフェイクニュースを発信する人に限ったことではなく、実は私たちは本当に末通る言葉というものを持ち合わせていないということを示しているのかもしれません。


どう声をかけたら

 正信偈には「応信如来如実言」とあります。お釈迦さまは、「南無阿弥陀仏」の六字こそが真実の言葉、言葉となった仏さまだとお説きくださっています。それは阿弥陀という仏さまが「あなたを必ず仏とならせて救う。間違いない」と、私を願いはたらきつづけてくださっている「すがた」なのでした。


 物質に恵まれたうえに、大量の情報の中で暮らす私たちの心のなかには、「言葉ぐらい...」と思っているところがあるかもしれません。ですが、どのように私の状況が変わろうとも、いついかなる時もはたらいてくれるのは実は言葉しかなく、むしろ、真実の言葉というべきものが唯一、どのような時であろうとも私にいたりとどいているのです。

 ある教区の講習会で、お寺の坊守さんからご質問をいただいたことがあります。


 「身近なご家族を亡くされたばかりのご門徒さんに、どのようなお声をかければよいでしょうか」


 ご門徒一人一人の悩みを聞き、場合によってはご住職以上に寄り添ってこられたであろう坊守さんが、おたずねになるのです。そのような質問が寄せられること自体、すでに明快で一律な答えがないことを表しているのでしょう。


 ある30代のご主人が、急な病気で亡くなられました。ご葬儀では喪主である奥さまが、小さな子どもさんとご親族に支えられて何とか立っておられました。棺に蓋がされるまさにその時、奥さまは倒れこむように棺にすがり、「パパ、お願い! 目を開けて!」と泣き叫ばれました。そのような姿を見守る場内も、ただただ慟哭するばかりです。


 私たちは、体裁を気にした日常の話が意味をなさない事態に至り、本当の言葉を持ちあわせていないことが知らされます。ですがその時も、お念仏をいただく人には本当の言葉が恵まれていました。


 自分自身は末通る言葉を持ちあわせませんが、仏さまの名号という真実の言葉に出遇わせていただきました。だからこそ、「あなたも私もともに仏さまを仰ぎ、真実の言葉を聞かせていただこうではありませんか」という心持ちから、古来より仏事がつとめられ、お聴聞の仏道が伝えられているのです。


(本願寺新報 2023年08月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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