読むお坊さんのお話

近づく秋のお彼岸-暑い寒いの煩悩も彼岸にいたるまでのこと-

清胤 祐子(きよたね・ゆうこ)

広島県安芸太田町・正覚寺衆徒

彼岸は「彼の岸」

 9月の風を感じる頃になりました。皆さまお元気ですか。今年もおかげさまで、お彼岸が近づいてきましたが、誰より先にそれを教えてくれるのが、いつも彼岸花です。彼岸花はどうして、毎年忘れずにお彼岸の頃になると、あんなにも美しい花を突然、咲かせてくれるのでしょうか。まるで仏さまのおつかいのように私は感じます。


 彼岸花の別名はたくさんあります。まずは「葉見ず 花見ず」。面白い響きですよね。普通の植物は、はじめに小さな芽を出し、葉を茂らせ、つぼみをつけ、そして咲くのでしょうが、彼岸花は突然、花芽だけをいきなり伸ばしてパッと咲きます。まるで夜空に打ちあがる花火のように、私たちの心にお彼岸を知らせます。


 次に「天蓋花」という別名もあります。天蓋とは、お寺の本堂のお内陣に「仏天蓋」「人天蓋」がありますが、天井からつるされた美しい荘厳(おかざり)のことです。天蓋花とは、まさにお浄土からやってきた花というイメージですが、相反する「地獄花」という別名もあるのです。


 それは、球根に毒があり、仏さまにお供えできないという意味なのでしょうが、毒があるがゆえに、土葬が普通だった時代には、ご遺体を獣にあらされないようにお墓の周りに植えたのだそうです。お彼岸にはお墓参りにも訪れますが、お墓近くに咲く彼岸花は決して雑草ではなく、ご先祖のどなたかが心をこめて植えてくださったに違いありません。


 また、水戸のご老公、黄門さまは、「物事は表裏一体、毒というのは裏返せば薬、ならば彼岸花の球根をすりおろして痛いところに湿布しなさい」と、水戸藩にお触れを出したことも有名です。


 まだまだ別名はたくさんありますが、「暑さ寒さも彼岸まで」という誰でもご存じのこの言葉も、ご一緒にあじわってみましょう。


 この言葉を私たちが仏教徒として受け止める時、単に過ごしやすくなった気温のことだけではなく、暑いとか寒いとか、好きとか嫌いとか、おいしいとかまずいとか、尽きることのないこの煩悩も、此の岸(此岸)でのこと。お念仏とともに彼の岸(彼岸、浄土)に参らせていただいたあかつきには、いつも平等心に満ち満ちた仏さまにならせていただくのだよとの弥陀のよび声と受け止めたいものです。


お浄土にかえる

 本願力にあひぬれば
 むなしくすぐるひとぞなき
 功徳の宝海みちみちて
 煩悩の濁水へだてなし
     (註釈版聖典580㌻)


 本願力を信ずるものは、南無阿弥陀仏の広大な功徳に恵まれるから、煩悩を抱えながらも、もはや再び迷いの生死を繰り返すことはない、と親鸞さまはおっしゃいます。

 お寺に嫁いで30年、今の私はやっと小さな声でも「拝」と返事をさせていただける身にお育てをいただきました。そして「死んだら終わり」ではなく、必ずや西方浄土にて、もう一度会いたかった父や祖父母、そしてどんな方とも仏さま同士で再会できることが楽しみでなりません。


 今年のお彼岸の中日にも、きっと彼岸花がたくさん咲いてくれるなかで、太陽が真西に沈んでいくことでしょう。美しい夕日が目に浮かびます。私の悲喜こもごもの人生も、仏さまに願われたお浄土への確かな歩みであることを知らされた時、思わず感謝のお念仏がこぼれます。


 「皆 土(浄土)に還るは哀し あたたかし」


 この言葉は私の祖母がお墓の裏側に彫り残した句です。祖母は終戦直前、朝鮮半島で学校の校長に任命されましたが、敗戦のために命からがら引き上げてきました。しばらくは教師もできませんでしたが、その後、お寺の幼稚園で園長さんをさせていただいたおかげで、遇い難くしてご法義に遇えました。


 いつも訪ねて行くたびに、「ようこそ、ようこそ」と抱きしめてくれたことを思い出します。少し前に、この祖母らのお墓が墓じまいをされることを聞き、びっくりしてお寺に引き取りました。今は墓苑の入り口の句碑として皆さまを迎えてくれています。


 「みんなお浄土にかえらせていただくことは、残された者には哀しいけれど、それはとてもあたたかいお慈悲に包まれることですよ」と。


(本願寺新報 2023年09月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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