読むお坊さんのお話

関東大震災100年に思う-精いっぱい生き抜かれた先人のお導きをいただく-

成田 智信(なりた・とものぶ)

布教使・横浜市戸塚区・善了寺住職

救援活動の映像

 残暑がまだまだ厳しいなか、ことしは関東大震災から100年の9月1日を迎えました。


 先日、築地本願寺の法話会に出講させていただいた時に、本堂で開催されていた関東大震災から100年のパネル展示を見ました。大変よくまとめてくださっていて、学びの多い展示でした。そして、大震災当初に活動されていたさまざまな本願寺の活動を撮影した大変貴重な動画が流されていました。


 多くのご門徒のみなさん、宗門校の学生さんたちが、そしてご本山では救援物資の調達や募金など、築地本願寺では被災現場での救援活動に尽力されている姿などが鮮明に映し出されていました。


 その中に、九條武子さまのお姿がありました。武子さまは第21代明如上人の次女で、仏教婦人会や社会活動に尽力されました。武子さまを映像で拝見したのは初めてでした。


 このご縁に、第23代勝如上人のお裏方・大谷嬉子さまのご著書『慈光のなかで』の中から、武子さまのお言葉、そして、それをお味わいくださった嬉子さまのお言葉をご紹介したいと思います。


 「救いのめぐみにかくれて、つねに悪しきを重ねているのは悲しい。私たちはほとけの慈悲に馴れて、ほとけを弄んではならない。みずからの弱い貧しさをかえりみると同時に、めぐまれた救いのよろこびを味わう。弱き者こそ強くありたい。
 あはれわれ
 生々世々の悪をしらず
 慈眼のまへに
 なにを甘ゆる
        『無憂華』」 


 武子さまの歌文集『無憂華』にあるお言葉です。この最後の歌を、嬉子さまが味わわれています。


 「ああ、あさましい人間である私は、生き変わり死に変わりしている間に犯している悪をつゆ知らず、それをかえりみることもせず、み仏のお慈悲に救われることを当然のように思って、み仏に甘え切って日々を生きているが、そのようなことでよいのであろうか。いや、決してそうあってはならない」


   

 関東大震災を体験された武子さまのお歌、それを60年ほど後(1983年)に嬉子さまが味わって書かれています。そして今、関東大震災から100年のこの時、私たちに語りかけられているようです。


私たちのちかい

 阿弥陀さまのはたらきである「慈眼」について、親鸞聖人は主著『教行信証』の中で、「慈眼をもつて衆生を視そなはすこと、平等にして一子のごとし」と示されています。     (註釈版聖典184㌻)


 今、この時代に、阿弥陀さまのはたらきの中で出遇わせていただいた武子さま、そして嬉子さまのお示しは、阿弥陀さまに「一人子」として願われて真摯に生きる人生をお示しくださっています。自分自身では決して気づくことのできない自らの愚かさに気づかされながら、それだけで終わらない。そのまま、お慈悲に抱かれるからこそ、そこから、阿弥陀さまのすべての衆生にかけられた願いに応える人生、報恩感謝の日暮らしが恵まれてくるのです。


 ご門主がお示しくださいました4カ条の「私たちのちかい」。その3番目です。


 「一、自分だけを大事にすることなく 人と喜びや悲しみを分かち合います 慈悲に満ち満ちた仏さまのように」


 私には、こうしたそれぞれのお言葉が時代を超えて響き合って聞こえてくるのです。


 阿弥陀さまのように、一人ひとりを平等に一人子のように受け止めることは決してできない愚かな私です。


 生まれ変わり死に変わりしながら、自分が、どこで、何をしてきたのかさえ、決して把握することのできない恐ろしい私です。


 しかし、今こうして、関東大震災100年のこの年に、お念仏のはたらきの中、尊いお導きをいただきました。


 まさに今、武子さま、嬉子さま、お念仏を依りどころに精いっぱい生きぬかれた先人のお導きをいただきながら、「私たちのちかい」を味わいたいと思います。そして、少しでも、慈眼のまえに、阿弥陀さまの願いに応える報恩感謝の日暮らしを精いっぱい大切にしてまいりましょう。 


(本願寺新報 2023年09月10日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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