読むお坊さんのお話

南無阿弥陀仏にすべてが-手が合わさりお念仏があふれてくださる尊さ-

葛野 洋明(かどの・ようみょう)

龍谷大学大学院教授・大阪府池田市・託明寺衆徒

八万四千の法門

 浄土真宗は「南無阿弥陀仏」一つのお救いです。親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」には「あらゆる善がおさまっていて、あらゆる功徳が具わっています。だからさとりを開いて仏と成ることには、もう心配はありません」と顕らかにされました。


 その「お念仏一つのお救い」と聞かせていただく浄土真宗のみ教えについて、あらためて考えさせていただくご縁がありました。


 京都のご本山に「転輪蔵」と額が掲げられた経蔵があります。経蔵の中にはお釈迦さまが説いてくださったお経をはじめ、大切なお聖教などを集めた「大蔵経」が納められています。その経蔵の内部が公開されたので、寄せていただきました。


 内部を拝見しますと、お堂の真ん中に八角輪蔵と呼ばれる高さ6メートル、直径4メートルもある、八角柱でタワーのような書架が立っていました。一面に横5列、縦9段で45個の書庫が設けられています。その面が八面ありますから、360個の書庫を持つ、大きな回転式の書架でした。膨大な「大蔵経」を自由自在に読めるように工夫されているそうです。


 お釈迦さまは、誰もがさとりを開いて仏に成るようにと、み教えを説いてくださいました。その説きぶりは、み教えをお聞きになる方に応じて、さまざまにお説教をしてくださいました。お弟子の中には優秀な方もいらっしゃったことでしょう。その方にはその方がさとりを開けるようにとお説きになりました。また、あまり優秀とはいえない方もいらっしゃったことでしょう。その方にはその方がさとりを開けるようにとお説きくださったのです。ですから後に「八万四千の法門」とも呼ばれるような、多種多様な経典が伝わってきたのです。


 せっかくのお釈迦さまのお説教も、全く優秀でない私が、優秀な方に応じて説かれたお経を読んで修行しても、さとりを開くことなどできません。私がさとりを開くことのできるみ教えに遇えなければ、せっかくの「大蔵経」ももったいないことになります。


何一つ心配ない

 経蔵の内部を拝見して、その書架の大きさに驚き、そこに納められている膨大な「大蔵経」に圧倒されました。それと同時に、この「大蔵経」を全て読んで、その深いおこころをきちんと理解して、私がさとりを開くことができる経典を見つけ出し、全ての行を勤め励んで功徳を積みなさいと言われたら、思わず「無理無理、とても無理」と思うほかはありませんでした。


 ご本山にお参りさせていただきましたので、いつものように御影堂と阿弥陀堂にお参りさせていただきました。ご本尊の阿弥陀さまの前に座った時でした。先ほど拝見させていただいた、あの膨大な「大蔵経」がハッと思いおこされました。


 阿弥陀さまは、あらゆる迷いの者にさとりを開かせ、この上ない仏に成らせるとお誓いをお建てになりました。


 しかし、この私は「大蔵経」を全て読み、その深いおこころを正しく理解し、私がさとりを開くことのできるお経を見つけ出し、そのお経に説かれている全ての行を勤め励んで功徳を積むことなど、何一つできません。


 そこで、阿弥陀さまは考えに考え抜いて、この私をこの上ない仏に成らせるために必要なありとあらゆる行を、阿弥陀さまご自身が修めて完成し、そのあらゆる善や功徳を「南無阿弥陀仏」と成就して、今この私に至り届いてくださっていたのです。


 「南無阿弥陀仏」。それは「南無せよ阿弥陀仏に」と読み「まかせよ、阿弥陀仏に」という意味があります。阿弥陀さまが、「あなたに必ずさとりを開かせ、この上ない仏と成らせよう。その用意は全部この阿弥陀仏が成し遂げた。もう心配はいらない。この阿弥陀仏にまかせなさい」と至り届いてくださっているのです。


 阿弥陀さまが成就してくださった「南無阿弥陀仏」です。私がさとりを開き、この上ない仏と成ることに、何一つ心配する必要のない「南無阿弥陀仏」でした。


 「南無阿弥陀仏」一つのお救い、その深い中身をお聞かせいただいた私たちは、もう何があっても大丈夫という大きな安心をいただきます。


 阿弥陀さまの前で、手が合わさって、「南無阿弥陀仏」がこの口にあふれてくださる私たちでした。


(本願寺新報 2023年10月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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