先手のお慈悲-"疑いなき安心"を聞く-
伊藤 顕慈
宗学院研究員・北九州市門司区・光円寺衆徒

あふれる涙
私たちはお聴聞を通して「安心しよう、安心しよう」と苦労することがあります。しかし、自分でこしらえた安心では間にあいませんね。安心しようがしまいが、本願招喚の勅命を聞くその時にお救いにあずかるのです。「われにまかせよ」という阿弥陀さまの勅命を聞き受けるところに、「往生一定御たすけ治定」のお救いがあります。それはまた、聞くから救われるのではなく、間違いなく救われる法を聞くということです。
私が小学生の頃の話です。ある日、友達たちと自転車で学校近くの山へ遊びに出掛けました。その山は今では新興住宅地ですが、30年ほど前はまだ工事中で、近所の子どもたちの遊び場の一つになっていました。
山の上は工事中ですので、山道はトラックの往来する砂利道です。山の上まで自転車で登ると、「ブレーキを使わずに全速力で山を下って行こう!」と、小学生の男の子にありがちな、いわゆる度胸試しの始まりです。私たちは全速力で、ブレーキをかけずに山道を下っていきました。
もうお気づきかもしれませんが、案の定、私の自転車は砂利に混じった石にハンドルをとられてしまい、私は自転車ごと見事に空中で一回転。顎から地面に着地しました。
「大丈夫⁉」
あわててみんなが駆け寄ってくれますが、当の私は突然のことで何が起きたのかわからず、ただ呆然とみんなのあわてる姿を眺めていました。
その後、病院に運ばれた私は、お医者さんから「うん、大丈夫、大丈夫」と言われながら傷口を縫合してもらったようです。といいますのも、不思議と全く顎に痛みがありませんでしたから、ただ診察を受けているだけだと勘違いしていました。
後から聞いた話では、顎の骨まで見える大けがだったそうです。また、お医者さんから「お家に連絡をしないと」と言われましたが、その日は遊びに行く前に両親から「今日は夕方から出掛けるから遅くなる前に帰ってくるんだよ」と言われていたので、「両親は留守です」と不安気に応じたことを今でも覚えています。
けがをして病院に運び込まれ、両親も留守だという認識でしたから、お医者さんや看護師さんがそばにおられましたが、漠然とした不安が、その時の私にはありました。治療を終えて、そんな漠然とした不安の中、病室のベッドの上でボーっと天井を仰いでいますと、突然、待合室のほうが騒がしくなりました。何事かと思い病室の入り口に目を向けると、息を切らして入ってきた両親の姿が私の目に飛び込んできました。その瞬間、「ああ、もう大丈夫だ」と思った私の目から、大粒の涙があふれてきました。
光に照らされてこそ
何が起きたのかわからず、自分が今どういう状態にあるかすら理解していなかった私は、不安であると同時に、安心したいという気持ちにかられていました。
「大丈夫、大丈夫」とお医者さんは言います。私も「大丈夫、何ともない、何ともない...」と思うようにするのですが、難しいものです。医療の専門家を目の前にしても、不安が募ります。むしろ、「そんなに悪い状態なんだろうか」と、不安にさえ思ってしまいます。
そんな漠然とした不安につつまれていた私の目から涙があふれてきたのは、両親の姿が目に飛び込んできたからこそです。親を忘れて遊びほうけ、最後には大けがをするようなこの私を、放ってくれと頼んでも、放ってはくれない親の姿が目に飛び込んできたからこそでした。
何が起こるかわからない、自分が本当はどういう状態にあるのかがわかっていないというのは、人生においては当たり前のことかもしれません。お医者さんがそばにいても不安にかられます。しかし、何があっても見捨てはしないという、親なればこその安心がありました。
「大丈夫」を聞き求めるのではなく、こちらが求めずとも間違いのない「大丈夫」な親心を聞き受けるばかりです。もったいないことでした。
さて、安心したら不思議ですね、顎が痛みはじめました。
「松蔭の暗きも月の光かな」
阿弥陀さまの月に照らされてこそ、わが身のあさましさが知らされます。
安心できたからこそ、けがをしているみずからの痛みに気づかされたのでしょう。
(本願寺新報 2023年11月10日号掲載)
本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より
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