読むお坊さんのお話

父の遺言

髙田 未明(たかた・みめい)

相愛大学非常勤講師・奈良県橿原市・金臺寺

「仕事がある」

 親しくお付き合いさせていただいているお寺のご門徒さんに、昭博さん(仮名)という方がおられました。お寺にご法座がある時は必ずお参りされ、たいへんお念仏をよろこんでおられる方でした。

 お寺の法座は座席が決まっているわけではありません。しかし、いつもお参りになる方々は、自然と座る席が定まってゆく、そんなことが多いように思われます。昭博さんにも、そうした意味での指定席が本堂の最前列にありました。

 そんな昭博さんですが、働き盛りの息子である実さんがお寺に参ってくれないことをとても気にしておられました。実さんは大企業に勤めていて、数字を追い、数字に追われる多忙な毎日を過ごしておられたようです。

 ある年、昭博さんはがんを患い、そのうちに腹水が溜まり、最期はご自宅でお過ごしになられました。

 昭博さんと私は、共に聞法の同行として親しくさせていただいておりましたので、後日お悔やみにあがらせていただきました。その際、奥さんが私に封筒を手渡されるのです。昭博さんが、がんの告知を受けられた後、「ワシが死んだら開封するように」と言って奥さんに託された遺言でした。

 「どうぞ、中を見てください」とおっしゃるものですから、封筒を開け、便せんを取り出すとびっくりしました。便せん三枚に隙間なくびっしりと文字が書かれてあります。

 「実よ仏法に遇え。実よお寺へ参っておくれ。ワシの念珠を使え。実よ、この世は法を聞くために生まれてきたのだ。実よ、わしの最後の願いだ。実よ、仏法を聞いてくれ。実よ、本当の教えはこれしかないぞ。実よ、念仏しておくれ...」

 働き盛りの一人息子に向け、どうか仏法に遇ってほしいとの思いが、延々と書き連ねられているのでした。その遺言を、私は涙で濡らさないように気をつけながら最後まで読ませていただいたのでした。

 このような昭博さんの願いが、実さんに届かぬはずはありませんでした。

 それまで実さんは「仕事がある」のひと言で父・昭博さんの思いを聞き入れようとはしませんでした。

 私たちはなかなか、お寺参りをわがこととして考えることが難しいのかもしれません。特に日々充実して忙しければなおさらでしょう。しかし、お父さまが亡くなり、ただただ自分に向けて書かれた遺言を目の当たりにした時、「わが父の願いの究極は、息子の自分に、揺らぐことのない本当の教え、阿弥陀さまの願いを聞き届けさせることにあった」と知るに至ったのでしょう。

 それ以来、お寺のかつての昭博さんの指定席で、実さんがお聴聞されるようになりました。

「そのまま救う」

 阿弥陀さまは、自ら迷いを重ねるこの私をご覧になったとき、「仕事や家庭を捨てて、仏道を歩みなさい」などとはおっしゃいませんでした。家庭を持ち、日々仕事に追われて、自らの都合で煩悩の炎を燃やしながらでしか生きられない私に対して、「欲を捨てなさい。浄らかな心になりなさい」と言ってもその通りにできないことを、阿弥陀さまのほうが見抜いておられるのです。

 そのような私に、「われにまかせよ そのまま救う」という大悲の願いが込められた「南無阿弥陀仏」が与えられていたのです。阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」というお念仏となって、いま現に私に至り届いています。そんな救いに私たちは恵まれているのです。

 阿弥陀さまの「われにまかせよ そのまま救う」という願いを聞き届け、お念仏に生きた昭博さんが、仕事に忙しい実さんを突き動かしました。そうであるならば、阿弥陀さまの願いが、昭博さんを通して実さんと、そしてご縁をいただいたこの私にも至り届き、だからこそ、今こうしてお念仏申しているともいえるのです。

 この世は思うにまかせないところです。しかし、昭博さんが身をもって教えてくださった阿弥陀さまの力強い大悲の中で、「せめては、せめては...」と、自分のつとめに励ませていただきたいと思うのです。

(本願寺新報 2023年02月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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