読むお坊さんのお話

船で彼の岸へ-本来沈む命をそのまま「のせてかならずわたす」-

蓮谷 啓介(はすたに・けいすけ)

布教使・大分市・妙蓮寺住職

荷物があってこそ

 今年も春のお彼岸を迎えました。「彼岸」とは、清浄なこの上ないお覚りの世界、阿弥陀さまのお浄土です。

 これに対し、「此岸」である私たちの娑婆世界は、煩悩に満ち、自他共に傷つけ、出会いと別れを繰り返す悲しみの世界です。

 その大きな隔たりを超えて、阿弥陀さまは「我にまかせよ、必ず救う」と、「南無阿弥陀仏」のよび声となり、今、ここで、私に、ご一緒してくださいます。

 阿弥陀さまのお救いは、死んでからでも、死ぬ間際でもありません。なぜなら、私はたった一度の事故や災害、あるいは病気などで今、命を終えてしまうような存在だからです。そして、老病死の苦悩に涙するのも昨日でも明日でもなく、今のことだからです。私と離れていては間に合わないのです。

 この阿弥陀さまのお救いを親鸞聖人は船に譬えられます。

 生死の苦海ほとりなし

 ひさひくしづめるわれらを ば

 弥陀弘誓のふねのみぞ

 のせてかならずわたしける

     (註釈版聖典579㌻)

 娑婆世界を際限なき苦悩の海に譬え、過去世より永く沈んできた私たちを、阿弥陀さまのお救いの船だけが乗せて間違いなくお浄土に渡らせてくださるとよろこばれます。

 船の特性は、沈むものを載せて運ぶことにあります。お参り先の近くにある造船所では、海外を往復する大きなタンカーが造られています。タンカーは外国に物資を取りにいくとき、積荷が何もないと航行のバランスが取れないので、あえて大量の海水を注入して向かい、外国で排水をしてから荷物を載せて帰ってくるのだそうです。

 そうすると、船は初めから荷物を載せて運ぶこと以外には設計されていないのであり、荷物を載せないと船の役割を果たせないのです。見方を変えれば、船の存在の意味を成すのは載せて運ぶべき荷物でもあるわけです。

私の安心とよろこび

 昨年、102歳で往生されたご門徒のクメさんは、命終えればお浄土の花嫁になると言ってほほ笑まれるような方でした。ある時、クメさんは中国大陸で終戦を迎えて日本に帰られるまでの苦労を語ってくださいました。

 暴力におびえ、だまされたり裏切られたりしながらも命がけで国境を越え、やっとの思いで港に着きました。すると、日本から来た大きな引き揚げ船が目にとまったそうです。その船には横断幕が張られ、「お迎えに上がりました」と書かれてありました。そしてタラップを渡り、その船に乗った時、船長のアナウンスが流れました。

 「皆さん、大変お疲れさまでした。よくお戻りになられました。安心してください。ここは日本です。繰り返します。ここは日本です」

 この声を聞いた時、クメさんは初めて不安と緊張から解放され、声をあげて泣くことができたのだとお話しくださいました。

 船は海外にありながらも、「ここは日本です」というのは、「旗国主義」が適用されていたのでしょう。この時、船はまだ外国にありますが、船の中は日本の法律が適用される領域なのです。誰もこれを侵害することはできません。初めからクメさんを乗せて必ず連れ帰るという日本の願いと力によって動かされている船なのです。これに乗ったという事実がクメさんの安心となり、よろこびとなったのでした。

 今、私たちも「我にまかせよ、必ず救う」との「南無阿弥陀仏」のよび声に安心し、阿弥陀さまの船に乗せられてゆきます。まだ娑婆にあって、煩悩をかかえた命でありながらも、この船は阿弥陀さまの法がおさめる領域なのです。

 乗る者にさまざまな違いがあっても、お浄土に生まれ、仏さまの命を賜ることに何一つ邪魔になるものはありません。煩悩も障りなく、男女、賢愚、老少、善悪などを問わないというのが弥陀の法です。本来沈む命をそのまま、「のせてかならずわたす」という阿弥陀さまの願いと力によって動かされている「大悲の願船」なのです。

 この船は、初めから私たちを乗せて彼岸に渡らせ、仏とすることのほかに用事はないのです。見方を変えれば、阿弥陀さまの船の存在の意味を成すのは、乗せて渡らすべきこの命でもあったのでした。あらがえないさまざまな現実に泣いていかねばならない命が、初めから目当てとされた唯一絶対のお救いが今、ここに、私の安心とよろこびとなって届いているのです。

(本願寺新報 2024年03月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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