読むお坊さんのお話

感謝できる仕合せ-お念仏を称えおかげさまの世界を知る-

高田 文英(たかだ ぶんえい)

龍谷大学教授 福井県鯖江市・西照寺衆徒

「笑顔が増えた」

 以前、龍谷大学の月例法要で、臨床心理学がご専門の先生が「感謝の効用」と題してお話しされました。

 その先生は、ご自身の講義を受けている学生さんに、3カ月間、ある小さな習慣を続けてもらうという介入実験を行ったそうです。その小さな習慣とは、毎日寝る前に「今日もおかげさまで1日を終えることができました。ありがとうございました」といった感謝の言葉を3回繰り返して唱えるというものです。

 実験に参加する学生さんには「この小さな習慣を続けること以外には、とくに何かをしてもらう必要はありません。あとはいつも通り生活してください。そして、もし何か生活に変化があれば、メモしておいてください」と言われたそうです。

 毎晩3回唱えなさいと言われると、ちょっとオカルトっぽい感じがしますね。学生さんたちも、こんなことをしてどんな意味があるのだろうと最初は半信半疑だったそうです。しかし、3カ月たった後の学生さんからは、「笑顔が増えた」「憂鬱な気分が減った」「家族関係や人間関係がよくなった」「身体的な疲れが減った」「バイト先で気遣いができるようになった」など、よい報告が続々とあがってきたそうです。

 その先生は、この実験の意図を「もちろん感謝の言葉を唱えると運気が上がるとか、そういうことではありません。私たちは無意識に不安や不満のほうに目が行きがちですが、どんな人にも必ずうれしいこと、感謝すべきことがあります。小さな習慣がきっかけとなって、そこに目が向くようになれば、おのずと感謝の心が生まれ、それはよい循環となって、身心にも好ましい効果をもたらすのです。感謝の心をもつことで、体内システムのバランスが取れ、神経伝達物質やホルモンがバランスよくはたらくことも近年の研究でわかってきています」と言われました。

 この先生のお話を聞いて、「幸せだから感謝するのではない。感謝できることが幸せである」という言葉を思い出しました。

 幸せは、地位や財産など目に見えるもので単純に決まるわけではなく、私たち自身のものの見方が大切だということでしょう。たとえ人からうらやましがられる生活でなくとも、いろんな苦労があっても、今の自分を喜べる人は幸せだということです。

お慈悲の中にある私

 思えば親鸞聖人のご生涯も、ご苦労の多いものでした。大飢饉を何度も経験され、罪人として流罪にもなり、また晩年には息子さんを義絶するという悲しい出来事もありました。社会一般のものさしからすれば、決して幸せとは言いがたい人生であったでしょう。しかし、もし親鸞聖人に「聖人のご生涯は幸せでしたか」とお尋ねしたらどうでしょうか。きっと「いろんなつらいこともあったが、多くのご縁によって阿弥陀さまのご本願に遇わせていただいた。私ほど幸せな人生はないよ」とおっしゃるのではないでしょうか。

 お念仏を称えることは、お念仏を聞くことでもあると教えていただいています。お念仏を聞くとは、阿弥陀さまの願いに遇わせていただき、阿弥陀さまのお慈悲のなかに私があることを知ることです。〝感謝の言葉〟ならぬ〝お念仏〟を称える人生とは、まさにしみじみとした喜びに貫かれた幸せな人生と言えるのではないでしょうか。

 親鸞聖人はそのような念仏者に恵まれる精神的利益を「心多歓喜の益(心によろこびが多いという利益)」「知恩報徳の益(如来の恩を知りその徳に報謝するという利益)」(註釈版聖典251㌻)と『教行信証』に示しておられます。

 私ごとですが、私の妻は6年前に脳出血で倒れて1人で動くことが不自由になりました。それで妻の母が一緒にわが家に住んでくれて、福井のお寺と京都を行き来しながら家事をしてくれています。妻は目まいや発作が起きやすく、1日の多くをベットで過ごしています。

 妻はしゃべることはスムーズなので、昔のことや今日学校であったことなど、家族でいろんな話をします。余裕がなくなると少しケンカになることもあります。しかし、日常のふとした時に「私はいろんな人に支えられているね。おかげさまやな。なんまんだぶやな」と言ってくれることがあります。

 妻は若い頃、父親から「仏法は毛穴から入る」と言われて、「いやぁ、毛穴閉じるー」と叫んでいたそうですが、これもお育てというものでしょうか。妻の「おかげさまやな」「ありがとう」という言葉を聞くと、どこかやわらかな力強さを感じます。

(本願寺新報 2024年07月20日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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