読むお坊さんのお話

私をひとりにさせない方-仏さまと歩ませていただく人生の安心-

髙梨 顕浄(たなかし けんじょう)

布教使 愛知県豊川市・誓林寺住職

「今」「ここ」「私」

 親鸞聖人がお伝えくださった阿弥陀さまは、私たちの口からお念仏となって自らの名「南無阿弥陀仏」を名告り出て、私に今どのようにはたらいてくださっているかを告げてくださる仏さまです。

 では「南無阿弥陀仏」とはどのような意味かというと、「南無」とは「まかせる」という意味ですが、阿弥陀さまから私に告げてくださるときは、「あなたのいのちをまかせることができる仏がここにいるよ。だから私にそのいのちまかせなさい」という意味になります。

 そして「阿弥陀」とは、「いつでも」「どこでも」という意味です。つまり、阿弥陀さまが「いつでも」「どこでも」いてくださるということは、私のいのちがある限りどんな時も、そして、私がどこに行こうとも、必ず私の元にいてくださるのが阿弥陀さまなんだということです。

 それゆえ先人方は、阿弥陀さまは「今」「ここ」「私」の元にいてくださる仏さま。私から決して離れない、この私とともにあってくださる仏さまと仰いできてくださいました。つまり、阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」と私に名告り、「あなたから決して離れず、あなたのいのちを決して見捨てない仏が今、ここ、あなたの元にいるよ。だからそのいのちどうか私にまかせておくれ」と告げてくださっているのです。

 このことから、阿弥陀さまは私とご一緒してくださる仏さまだとお聞かせいただくのです。

 この「一緒にいる」ということについて、数年前、あらためて味わわせていただく出来事がありました。

「僕も一緒に!」

 当時3歳だった息子が、保育園でかくれんぼの遊びをして帰ってきたときのことです。かくれんぼが相当楽しかったのか、家に帰ってきてからも「かくれんぼがしたい」と言うので、私と2人でお寺の境内でかくれんぼをすることになりました。

 ただし、その時の息子は隠れている人を見つけることに楽しみを覚えていたので、私がひたすら隠れてそれを息子が見つけるというものでした。

 最初のうちは簡単に見つけられるように加減をしながら隠れていましたが、簡単すぎたようで、すぐに見つかってしまいます。息子はそれでも楽しそうにしていたのですが、「早く見つかりすぎてもつまらないな」と思った私は、一度、息子から全く見えない所に隠れてみました。

 全く見えないのではさすがに息子も探すのが難しいだろうと思い、大きな声で場所がわかるように「もういいよー」と言うと、息子はまたうれしそうに私を探し始めました。

 けれども、3歳の子にとって全く見えない私を探すのはとても難しかったらしく、しばらくすると私を見つけられずに泣きそうになっていました。慌ててわかりやすい所まで飛び出して、「こっちだよー!」と声をかけると、私の姿を見つけた息子はまたうれしそうに駆け寄ってきました。そして「もうそろそろ終わりにしようか」と息子に聞くと、息子は「まだやる」と言うので私も再び隠れようとしました。

 すると、さきほど私を見つけられなかったのがトラウマになったのか、息子は私の手をしっかりと握り「僕も一緒に隠れる」と言い出したのです。

 それからは、ただただ2人で見つからなさそうな所を見つけてそこに一緒に隠れ、「おとうちゃんはどこだ?」と聞いた私に息子がうれしそうに「ここ!」と答えるという遊びになりました。

 「これは一体なんの遊びなんだろう?」と思いながら、その時ふと、「あぁそうか。一緒にいるということは隠れようがないということだったんだな」と息子によって気づかせてもらいました。

 ご一緒くださっている阿弥陀さまからは隠れようがないということは、私がどれだけ人目から隠れて1人涙を流そうとも、阿弥陀さまだけはその涙を知っていてくださるということです。いやむしろ、私1人で涙を流させないために、そして、私の苦しみ・悲しみ・悩みを一緒に背負ってくださるために、私から決して離れない「南無阿弥陀仏」と名告る仏さまになってくださったのが阿弥陀さまなのです。

 お互いさまにお念仏の生活の中に、「あなたを決して独りにはさせないよ。私が一緒にいるよ」と告げてくださる阿弥陀さまの声を聞かせてもらいながら、阿弥陀さまとともに歩ませていただく人生の安心を味わって生きていけたらと思います。

(本願寺新報 2024年11月01日号掲載)

本願寺新報(毎月1、10、20発行・7/10、12/10号は休刊)に連載中の『みんなの法話』より

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